GAFAが企業を超え、国となった

いまや国家という枠組みが揺らいでいる。地政学上のリスクだけではない。そもそもGAFAに代表されるプラットフォーマーが台頭している。これらの企業はもはや、グローバル企業をこえ、一つの国ではないかと思う瞬間がある。各種サービスの利用料は税金のようにも見えるし、提供するサービスは社会のシステムを規定しているかのようにも見える。東大や京大の学生が官僚ではなく、こちらの世界を志向することは納得感がある。国という枠組みを超えた、世界的なサービスに関わることができるし、圧倒的な働きがいがあり、給料もとびきり良い。閉塞感も感じられない。

日本の官僚は出世が遅く、給料も安い。しかも将来に先行き不透明感が漂う。東大生の官僚離れは、まっとうな判断の結果だろう。

公務員が安定していると言われるが、もし公務員として就職したとして、あなたは一生公務員なのだろうか。そうとは言い切れない。

昭和の後期から平成、令和の時代を振り返ってみよう。民営化のラッシュだった。国鉄、電電公社、専売公社、郵政の民営化の他、国立大学の法人化などもあった。

現在、検討されているのは水道事業の民営化であり、賛否を呼んでいる。もちろん、コストや、安定したサービス供給という点で論争を呼んでいる。民営化だけでなく、外部化という流れもある。たとえば、公園の運営などに関わる外部への依頼である。

民営化にAI化。安定とは程遠い現実と向き合おう

いずれにせよ、現状、公務員が担っている業務が民営化、外部化するということは考えられる。常に仕事があると思っていて良いわけではない。

さらに、キャリア組はともかく、一般職などに関してはAIに置き換わる可能性だってあるだろう。ルーチンの業務はウェブ化、AI化の流れにより雇用が激減してもおかしくない。

このように、試験に合格して公務員になれたところで、自分たちの仕事がなくなっていくリスクと向き合わなくてはならない。これもいま、目の前にある現実である。安定とは程遠いのが現実だ。

キャリア形成に関する環境が不安定であること。これも公務員の問題だ。これは民間企業にも共通する点ではあるし、公務員の種類にもよる。

現在、無期無限定の日本的雇用システムに対する賛否の声がある。人事権を組織が強くもち、異動のある雇用システムは、キャリア形成もワーク・ライフ・バランスやクオリティ・オブ・ライフという概念を華麗にスルーする可能性がある。もちろん、多様な経験を積むことができるし、人脈も広がるが、必ずしも専門性が磨かれないし、個人の生活上の事情もスルーされる。その古きよき、そして悪しき働き方が温存されているのが、公務員の働き方である。