なぜ秒速で国民食になったのか

大旋風を巻き起こしたタピオカ。実はブームとしては3度目だという。その仕掛け人が台湾発祥のお茶専門店「春水堂」の代表・木川瑞季氏だ。

木製のテーブルにストローでプラスチック カップのバブルティーの様々な。
写真=iStock.com/Makidotvn
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「実は、最初からタピオカを流行らせようとしていたわけではないんです。高品質でおいしいお茶を提供する春水堂に惚れ込み、日本にもそのお茶を広めたいというのがスタートでした」

春水堂は2013年7月に日本1号店を代官山にオープン。台湾本店の看板商品であるタピオカミルクティー等を販売していた。開店当初こそ台湾人気店の春水堂が日本初進出という話題性で行列ができたが、冬には客足が遠のいた。

「お客様を増やさなきゃとひねり出したのが、ブランディングの変更です。当時春水堂は本格的なお茶の専門店としてPRしていたのですが、日本茶の専門店と勘違いする人も多かった。そこで“台湾カフェ”という新しい言葉でブランディングし直したんです」

ちょうどそのころ、LCCの台湾便の増加などにより、海外旅行の人気ランキングで台湾が1位になっていた。台湾ブームの到来を敏感に感じ取ったうえでの戦略だった。

「台湾のパイナップルケーキやマンゴーかき氷の店も表参道にできたので、“台湾スイーツ”という言葉もつくりました。その看板商品としてタピオカミルクティーを前面に押し出すことにしたんです」