製造請負という「宝の山」を発見した
こうした工場構内の請負は、まだあまり一般的ではありませんでした。今まで述べてきたように、造船や鉄鋼などの分野では協力会社の存在は欠かせないものでしたが、製造業で工場内の作業を請け負うケースは少なかったのです。いわば私が“はしり”であると言っていいかもしれません。
戦前まではこのようなニーズに、企業が直接雇用する非正規労働者である「臨時工」や、外部の労務請負業者に雇われる「組夫」と呼ばれる労働者が対応してきましたが、臨時工は身分が不安定な上、低賃金で酷使される傾向が強く、また、組夫についても不当な賃金の中間搾取が横行し、強制的に過重な労働が科せられる例が多くありました。
戦後、連合国軍の占領下でGHQがこうした封建的な日本の雇用慣習を問題視したことから、1947(昭和22)年に職業安定法が制定されます。これにより労働者供給事業は労働組合が行う場合を除き、全面的に禁止されることになりました。
しかし、高度成長期を迎え、多様化し規模も拡大する工場内の業務に正規社員のみで対応するのは次第に難しくなってきます。外部の労働力が不可欠になってくるのです。
その結果、製造業では構内請負へのニーズが高まっていきました。まだ競合他社が少なかった時代に、この流れにうまく乗れたことが、日総工産のその後の成長への足掛かりとなりました。
製造請負はその後、自動車、電気、精密機器、半導体……と、さまざまな分野に広がっていくことになります。