都市部の知的労働者の多くは、生産性や仕事効率が何か理解していない
「スタバでマックを広げる人」はこうした、経済拡大のなくなった時代に提唱されたまやかしの労働価値観への従者たちである。経済成長が鈍り、労働者の実質賃金が下落し、一部の「合理的」な企業の利益だけが肥え太る結果となった21世紀以降、官民挙げた生産性向上の掛け声に、ほとんどの日本人労働者はどうしたらよいのかわからなくなった。
なぜなら、そもそも日本経済は、生産性や効率が高い優良企業と、そのほか大勢の非効率的中小企業が一方で温存されてきた。その両者の格差が人口増加と経済規模拡大によって隠されてきた、という根本的構造を解消することができなないまま21世紀を迎えたのだ。
だから特に都市部の知的労働者の多くは、生産性や仕事効率というのが実際に何を意味するかを理解できず、マックというツールや、スタバという空間に接続することでその解決を図ろうとした。「スタバ(カフェ等)でマックを広げて仕事をする人」を「ノマドワーカー」と定義した前述安藤氏自体、その薄い著書を隅から隅まで読んでも、スタバでマックを広げて仕事することの何が合理的で生産性向上につながるのかの根拠は一切述べていない。
ただそれが「新しいライフスタイルである」と提唱しただけで、その例証も渋谷近辺という、東京都内のごくつましく、限られた地域に限局されて、ノマド(遊牧民)の本義を実践しているとは言いがたい。良くて「渋谷のカフェで仕事をする人」である。「だから何?」その五文字で終わる事実を、「ノマド」という新造語で取り繕って新しくもないのに新しい価値観だと喧伝し、少なくない知的労働者に憧れを与えたのは時代の病といえる。
「キラキラした価値観」。実態は何もない
日本経済の成長がほぼ停滞した21世紀以降、つまりゼロ年代において、この手の「何かキラキラしたような新しい価値観を想起させる横文字」を標榜して、その実態は何もないという泡沫のような事象が現れては消えた。それはオンラインサロンであったり、インスタグラマーであったり、インフルエンサーであったり、また今日的にはユーチューバーである。
経済の拡大がなくなった世界においては、中産雇用者の賃金は一様に低下し、また消費動態も一様に縮小するので、その差異を「仕事の仕方」とか「仕事をする場所」とか「仕事をする道具」というものに求めていく。
「この腕時計をすれば上司からデキる男と思われる」とか、「秋はちょいモテコーデで取引先からの好感度アップ」などという、生産性や仕事効率というものの実態とは何の関係もない、「自尊心」や「自意識」をくすぐる文句に、労働者は煽られていく。
「スタバでマック」などこの典型で、たった数百円のコーヒー代を払えばいっぱしのエリート・ビジネスマンになった気分が手に入るのだから、日本でこの手の「偽りの労働形態」が隠さざる自意識を伴って繁茂するのは当然といえる。