問題の答えは「移民政策」にあり
では、生産性や仕事効率の向上という、もはや国家のお題目となったスローガンを達成するには何が必要なのかというと、一にも二にも戦後日本経済の宿痾である「二重構造」の解消である。つまり非効率的で生産性の低い、都市部や地方に存在する中小零細企業を統合して、大企業の中に包摂し、無駄なマンパワーや資源をすべて集産的計画に従って配置換えをする。
実際にこうして成長してきたのがアメリカであり、だからこそアメリカの産業構造は大企業寡占で、逆にその集産的発想に乗り遅れた日本ほど、先進主要国の中で中小零細企業が多くの雇用を抱えている国はないのである。ここまで言うと新自由主義的と批判される向きがあろう。だが私は修正資本主義に肯定的で決して新自由主義の信奉者ではない。
非効率的な中小企業の統廃合は一時的にだが大量の失業者やさらなる労働者間の格差を生む。それが嫌だというのなら、歪な経済構造を温存したまま経済規模の拡張を進めるしかない。その解答は単純に言えば生産人口の増加であり、日本においては移民政策である。
古くて効率の悪い産業構造を温存して国内の労働者を保護したまま成長したいのなら、人口増加が最も手っ取り早い方法であるが、いまだ日本には左右ともに強烈な移民アレルギーがある。右には排外主義的な世界観による移民拒否。左には正規労働者の雇用保護の観点がその理由である。
たしかにスタバでマックぐらいがちょうどよいのかも
が、先進国のほぼすべてが抱えた母国人の人口減少という問題と、その代替としての移民政策は、避けて通れない道であり、それを安倍政権も重々わかっているからこそ「実習生」という名目で人権蹂躙状況のまま、なし崩し的に移民政策が敢行されるという、きわめて玉虫色の展開で事は動いている。日本がやることは「スタバでMacを広げる」のではなく、はっきりと「日本人労働者と同等の権利を有した移民を認め、法的に保護し、彼らに門戸を開く」という宣言である。
ところがこういった国家の姿形が根底から改良される大きな構造変化に対し、ゼロ成長が20年以上続いた守勢の日本人はあまり乗り気ではない。経済規模が日本の15分の1以下のフィリピンですら(と言えば失礼だが)成しえた米軍撤退や地位協定改廃には全く無関心で、社会の本質とは無関係な俳優や女優の不倫に汲々とし、生産性とは無縁な「道徳心」を声高に叫ぶ世論の矮小化と堕落にあって、やはり移民への門戸開放だのという大きなお題目は響かない。
数百円を払ってスタバでマックを広げてノマドに変身できるお手軽で境界の薄い自意識の高揚のほうが、手っ取り早くインスタントなのだ。昭和元禄は遠く、電子立国ですらなくなった黄昏の経済大国には、スタバでマックぐらいがちょうどよいのかもしれない。嗚呼、貧すれば鈍する。