私はただ、事実を述べただけなのである

ただ、世界中に展開するスタバの中で、日本のそれだけが、都市部の知的労働者や「ノマド」を最初に提唱した安藤美冬氏の外面上のイメージに憧れを抱き、それを薄くトレースしているだけで、その実、合理的な仕事効率とは何ら関係がないという特殊な事実を述べただけである。

日本ではここ数年、生産効率とか仕事効率という言葉が大きくクローズアップされるようになった。人口が減り、総体としての経済規模があまり変わらない中、一人頭の生産性向上が日本経済喫緊の課題とされ、官民挙げて生産性向上がうたわれている。生産性、効率……。この掛け声がエスカレートして歪曲されたのが、自民党某議員による「LGBTには生産性はない」というトンデモ寄稿であり、結果として大手出版社の出す雑誌がひとつ潰れる騒動になったが、これは論外としても、社会の中にある生産性の低さは、実は高度成長時代から日本経済の負の面として大きく横たわる構造的欠陥であった。

いわゆる日本の「二重構造」問題である。東京や大阪などの大都市部における、国際競争力が高く合理的な先進企業が経済を牽引する一方、成長に取り残された都市下層や農村・地方においては、いまだ封建的な慣習のもとに非効率な中小零細企業が圧倒的多数を占めている……。

所得格差や疲弊が顕著になり、仕事効率に注目

この「二重構造」を是正することが戦後の民主日本経済の大前提とされた。高度成長が一巡した1970年代後半以降、この日本経済の「二重構造」は、経済規模そのものの量的拡張をもっておおむね解消したとされたが、実際はまやかしであった。

農村や地方を支持基盤とする自民党一党支配は90年代、および2000年代後半の間、欠期を除き現在でも続き、その間、自民党は非効率的で生産性の低い、都市下層部や農村・地方の中小零細企業を各種の補助金や税制優遇等で温存し続けた。しかしこういった矛盾は、紆余うよ曲折はあれど日本経済が拡張を続けたおおむね97年ごろまでは、総体として経済が拡大しているのでないこととされた。

現在、生産効率とか、仕事効率というのが再び話題になっているのは、こうした日本経済の規模拡大が20年前に終焉しゅうえんを迎え、元来非効率で生産性の低い日本の中小零細企業とその雇用者に、大企業と比べて目に見える所得格差や疲弊が顕著になってきたからである。つまり日本経済は、戦後の課題であった「二重構造」を一向に克服せぬまま、経済規模の拡大によってその構造的欠陥を糊塗ことしてきたということになる。