大国ほど他国の要求に無頓着
さらにいうと、国家が強大であればあるほど、他国の要求については配慮しなくなる。馬鹿馬鹿しいと思われるかもしれないが、地球外生物の侵略といった脅威でもなければ、各国が手に手をとって人類全体の利益のために行動することはできないのかもしれない。これまでどの国も、直接的にせよ間接的にせよ他国に害をおよぼすかもしれないとはっきりわかっているときでさえ、自国だけを見て、自国の利益のために行動してきた。そういう状況はこれからも続くだろう。
強者が支配し、方向づけ、ルールを決めてきた国際関係とは、“高度の偽善”にもとづくものである。軍事史を専門とする歴史家マイケル・ハワードはこの偽善を次のように表現している。「平和維持について最大の関心を示す国こそが、往々にしてもっとも多くの兵器を備えている」
多くの国が進んで大国の庇護を求める理由
「強者は望むことを行い、弱者は強者の横暴に苦しむ」
古代アテネの歴史家トゥーキュディデースはこう述べた。世界にはいくつもの強国が存在するが、世界の意思決定における影響力は国家によって異なる。国家は、基本的に2つの種類に分けられる。支配者国家と被支配者国家だ。
支配国は、地域規模、または世界規模でその支配力を行使する。被支配国はおおむね直接的に支配され、さまざまな形(軍事、経済、文化、科学技術等)で服従し、否応なしに、ときにはあきらめをもってその状態を受け入れる。必要であれば、相手は重要国だから、または手ごわい国だからという理由で、より強大な権力を持つ国の属国となることもある。
理由はどうあれ、自身が強大であると感じていない国々――核兵器を備えているかどうかが、そのはっきりとした分かれ目となる――は、少なくとも理論上は安全と特権を保障してくれる強大国の傘下に入ろうとする。核の力がそうさせるのであり、純粋な戦略的手段ということでいえば、国連安全保障理事会(UNSC)の常任理事国も国際的制裁の対象と仮定された国を支配下に置いている。
例として挙げられるのが、中国が、スーダンおよび同国のオマル・アル=バシール大統領に対してとった行動だ。ダルフールで起きた暴力事件の結果、2009年3月に人道に対する罪と戦争犯罪で国際刑事裁判所から逮捕命令が出されたにもかかわらず、バシールは大統領の地位にとどまっている。彼は、中国の庇護のもとにいるうちは自分の地位が安泰であることをわかっているのだ。