大国が持ちかけるウィンウィンの「サービス」

中国政府は他の国々とさまざまな交渉をする際にも、このように自分も得をしながら相手の立場を守るというウィンウィンの「サービス」を持ちかける。たとえばスーダンとの関係では、このサービスと引き換えに同国の原油と耕作可能地を手に入れた。中国は、これまで植民地政策をとってきた強国ではなかっただけに、とくにアフリカでは、他の競合国のような不信感を抱かれにくい。

力の弱い国が好戦的な国の攻撃を受け、頼れる第三国の支援を受けざるをえなくなった例として、シリアが挙げられる。シリアのバッシャール・アル=アサド大統領は、米国とその地域的・国際的な同盟国の支援を受けた反乱軍に押されてその勢力が不安定になり、政権を失わないためにロシアの支援を受け入れざるをえなかった。ロシアはロシアで、自国の利益を追求していた。

そもそも自らは地域的・国際的に十分な影響力や支配力を備えていないと考えている国は、地政学的影響力を得るために他国と連携する。その理由については、プロイセン首相(1862年~1873年)とドイツ首相(1871年~1890年)を歴任したオットー・フォン・ビスマルクの次の言葉が端的に表している。「自分たちだけで祖国も利益も守れると考えて完全に孤立する民族はやがて、他国の影響力に圧倒されて消滅するだろう」。

従属国家の悲哀とリスク

そうした連携が行われると、従属する立場にある国家は、たとえ世界的に見れば中程度の勢力があったとしても、連携した巨大勢力によって自国の利益とはまったく関係のない戦闘行為に引き入れられてしまう恐れもある。その結果、守るべき自国の利益など何もない遠隔地に自国の軍隊を派遣しなければならなくなる。

一方、目下の統治者に気に入られることばかり考えている理論家はつねにいるもので、そういった連中が後付けで、その戦闘は“先制防衛”だったとか、世界規模の危機には孤立無援で取り組めないとか、(あたかもその地域だけが人権侵害されているかのように)人権擁護のためだったとか、あるいは民主主義を普及させるためだったなどといって、軍隊派遣を正当化してくれる。

結局、こうした“傭兵派遣国家”が手に入れたのはまったく必然性のない新たな敵だけだったということも少なくない。たとえば、自国の領土がテロに襲撃される──遠方の派遣先で、戦術にテロリズムを含むような集団と対立したり、そうした集団になんらかのダメージを与えたりした場合にはよく起こることだ──というシナリオから、目的が曖昧な軍事遠征を行ったことに対して自国民の支持が得られず社会騒乱となり、ひいては軍隊派遣の責任者であった政府の転覆につながるシナリオまでが考えられる。