さまざまな共同体に共通する図式

さらに、ここまでに挙げた類型に当てはまらないタイプの生徒もいる。どんな集団とも距離を置き、好ましいものであれそうでないものであれ、どんな活動にも参加しないと決めている子どもたちだ。かたくなな態度をくずさず、誰かに馬鹿にされようものなら過剰に反応する。

強すぎるリーダー、取り巻き、いじめられる子、マイペースの子、誰ともかかわらない子。

こういう図式が見られるのは学校に限らない。たとえば軍隊、刑務所、職場など、構成メンバーが多くの時間をともに過ごさなければならない共同体であれば、どこにでも当てはまる。世界的な意思決定において、大小さまざまな影響力を持つ強国がせめぎあう国際社会においても、まさに同じことがいえるのではないだろうか。

地政学の大原則は「偽善」である

国際政治ほど偽善的で残酷なものはない。各国は自国の利益だけを考えて政策を練り、それを実施する。だが、利害関係はうつろいやすく、つねに変化する。しかも、ある国にとっての利益は、他の国々にとってはほとんど、いやまったくといっていいほど関係がないものだ。

国内に目を向けてみると、国内政治もまた無慈悲で近親憎悪的であり、政治的ライバルに対してはまったく敬意が払われない。政治家たちは、相手の力をぎ、相手を権力の座から追い落として自分がそのポストに就くためであれば、どんな手でも使おうとする。それでもなお、どんなに異なる主張を唱えようが、政治家集団というものが追い求めるのは、共通の目的、共通の利益、すなわち“国民と国家の幸福rdquo;であるはずだ。違うのは、集団の利益や幸福を解釈する際のアプローチだけである。

ところが地政学の舞台である国際領域においては、野蛮な行為を思いとどまらせることができる共通目的など存在しない。少なくとも永続的な共通目的はなく、国同士を結びつけるわずかな絆を保つのは難しい。利害が共通すると思われたとしても、それはあくまで一時的なものだ。同盟や友好関係はもとより、敵対関係ですらつねに矛盾をはらみ、驚くほどの速さで関係が変わっていく。つねに競争が存在し、各国は、あちらこちらに働きかけては自己の利益を最優先させるための突破口を開こうと躍起になっている。

気候変動のように、どんな国にも共通する問題への取り組みですら、現実には、各国の関係を深めるのに役立ってはいない。なぜなら、現代の特異な環境においてさえ、各国は自己の利益しか見ていないからだ。