「名誉職」に夢中になった社長たちの末路
しかしながら会社が大きかろうと小規模だろうと一国一城の主、それも相当に個性の強い社長が集うわけであるからいろいろな事件が起きていたのも事実である。
社長が数年間一生懸命事業に打ち込むと、当たり前だが業績は伸び金回りも良くなってくる。県庁所在地の地方都市であれば有名企業の仲間入りも普通のことであり、業界団体の代表や商工会議所、金融機関の理事など仕事か名誉職かわからない業務も次々に舞い込んでくる。
会社は順調、国会議員でさえ票欲しさに近づいてくるし、下にも置かない待遇を何度も受けているうちに偉くなった自分にさえ気づかなくなる。最後の決め手は勲章となる。
一倉先生は名誉職を厳しく戒めていた。徳育教育の普及等も社長であるうちは禁じていたほどである。
「そんなことをする時間があるんだったら得意先回りをしろ!」「自社の環境整備もできていないのに何がよその教育だ!」そして最後に「どうしてもやりたいなら後継者に社長を譲ってからやれ!」と。
社長が留守がちなのをいいことに、側近が会社の金に手をつけたり、手形を乱発され会社が人手に渡った事件も起こっている。これも一倉先生の教えの中で、絶対に社長がしてはいけない「銀行印を預ける」という行為を、専務を信頼しているからという理由だけで行った社長の怠慢以外なにものでもない。