鉄道各社はなぜ博物館をつくるのか

鉄道事業者の博物館・企業ミュージアムは当初、公共交通整備や沿線開発を担ってきた公益企業としての社会的責任から、企業の理念や事業内容、歴史などを利用者や地域、社会に認知、理解してもらうための「コーポレート・コミュニケーション」の中核を担う施設として設置されることが多かった。

特に鉄道事業者は地域性が強く、また事業領域も多岐にわたるため、沿線利用者であっても全容が見えにくい。そこで過去から現在まで、また本業の鉄道事業から関連事業まで網羅的に解説するショーケースとなることで、地域や利用者との関わりや、社会への貢献を示す役割を可視化するのである。これは前述の施設が、いずれも周年事業として開設されていることからも読み取ることができるだろう。

しかし、ここにきて企業ミュージアムの役割は、より積極的な「マーケティング・コミュニケーション」の領域に踏み込もうとしている。京急と小田急の取り組みに共通しているのは、「赤い電車」や「ロマンスカー」といった自社のイメージリーダーをコンセプトの中心に据え、そのルーツの紹介に特化しようとしている点だ。これにより企業ミュージアムは、自社のブランドを積極的に打ち出し、認知から愛着へと一段進むことで、その価値をさらに高めていく「ブランディング」の中心を担う存在へと変わろうとしている。

日本の近代化に貢献した“遺産”が注目されるように

こうした鉄道ミュージアムが注目を集めるきっかけとなったのは、2007年10月、さいたま市にオープンした「鉄道博物館」だ。折しも2000年代初頭は、「鉄子」と呼ばれる女性鉄道ファンや、子どもとともに鉄道を追いかける「ママ鉄」など、これまでとは異なるすそ野の広い「鉄道ブーム」が到来していたこともあり、鉄道博物館の入館者は開館から半年で100万人を突破する大ブームとなった。

またこの頃、文化財としての鉄道遺産に目が向けられるようになったことの影響も大きいだろう。2007年に経済産業省は、明治維新から戦前にかけて日本の産業近代化に貢献した「近代化産業遺産」を文化遺産として認定し、地域活性化に活用しようという事業を開始。また日本機械学会も同年から、機械技術の発展に貢献した機械、機器、システム類を「機械遺産」として認定し、保存、継承を目指している。

さらに2017年には日本初の地下鉄車両である銀座線「1001号車(地下鉄博物館所蔵)」、国鉄最初期の電車である「ナデ6141号車(鉄道博物館所蔵)」が国の重要文化財に指定されている。

こうした動きを背景に、鉄道施設、鉄道車両を鉄道遺産して保存、活用しようという動きはますます強くなっていくものと思われる。