今のシステムの中で入試改革をすると事態は悪化する

――採点者が採点しやすい、気に入られるような回答が良しとされる入試方法は危険だ、と考えていらっしゃるんですね。

そうです。新試験を導入したがっている人は「従来の受験勉強で受かるのは面白くない人間だ」という信念がある。だから、面接や小論文をやったほうが面白い人間が取れるはずだと考える。確かに、面接や小論文で面白い人間が取れる可能性はあるんだけど、そのためには面接官がよっぽど気が利いてるとか、小論文の課題自体を面白いものにするとかしないと難しいと思うんですよね。

今の大学の教授に面接させても、面白い人が取れるわけがない。入試改革が必要ないとは言わないけど、今のシステムの中で入試改革をやるとかえって事態は悪化する。それなら従来の試験制度でパフォーマンスだけを競わせるほうが、受験生がそれなりに工夫する余地があると思うんですよ。

むしろ内申書のほうがよっぽど悪影響

――世の中では「受験勉強をやると頭の固い人間になる」みたいな悪いイメージがありますが、実際には自分で勉強法を工夫したり戦略を立てたりすることで、むしろ柔軟な頭を作ることになるんですね。

そうだと思います。だから、受験勉強よりもむしろ内申書のほうがよっぽど悪影響だと思うんですよ。地方の公立中学とかだと、地元の良い公立高校に行こうと思ったら先生に嫌われないようにしないといけない。

今は観点別評価が始まっていて、ペーパーテストでいくら良い点を取っても、意欲や態度が駄目とされると5段階評価で「3」しかつかないような事態が起こってしまう。つまり、“今の大人から見て良い人間”が良いということになるじゃないですか。子供がそこを目指してしまうと、社会が20年ぐらい遅れてしまう。それはすごくまずいことなんじゃないかなと思います。学校の先生に逆らってでも点数さえ取れれば大学に入れるシステムのほうが、内申書で良い点を取るとか面接官に気に入られないと大学に入れないシステムよりも100倍マシだと思いますね。

(構成=ラリー遠田)
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