名もなき庶民も性におおらかだった

貴族の恋愛は『源氏物語』から紐解ひもとける部分があります。では、石井進先生の研究のように、名もなき人たちの間では男女の関係はどのように行われていたのでしょうか。江戸時代の農村は、女性に対する圧力はあったものの、性に対しては非常におおらかな時代でした。それを表す例として、よく引き合いに出されるのが「若者小屋」の存在です。

多くの地域社会では、子供に対して通過儀礼として何らかの試練を与え、無事にその試練に耐えることができたら、一人前の若者として共同体に参加することを許します。江戸時代では、この「若者小屋」に出入りが許されるのも、「大人として認められた証し」のひとつでした。

では、若者小屋で何をしていたのかというと、簡単に言えば乱交のようなもの。その代わり、結婚をすると小屋への出入りは禁止される。それが、当時の地方における男女の恋愛の状況でした。

本郷和人『空白の日本史』(扶桑社新書)

女性は妊娠や出産を経て、身体に変化が起きる。そのため、子供ができると、多少女性側はハンデを背負うことになりますが、地域社会では男と女が1対1で家族を作るので、妊娠によって何か差別が起こっていたとは思えません。

むしろ、民俗学でよく言われるのは、家を継げない次男や三男は、家を建てるだけの余裕がないので、嫁をもらえないことが多かったという点です。そういう次男や三男は「厄介おじ」と呼ばれ、長男の息子、つまり自分の甥っ子の世話になります。彼らには伴侶がいないため、性欲を満たすために、未亡人に夜這いに行くなどの出来事が起こります。

今でも中央アジアのキルギスやカザフスタンなどでは、略奪婚などの風習も残っていますが、世界広しといえど、古今東西、人間が考えることはあまり変わらないのですね。

歴史的に見れば、恋愛に開放的なお国柄

長らく日本は男女の性に対しては非常におおらかなお国柄でした。恋愛について、四角四面で怒るようになったのは、江戸時代の武家社会やその影響を受けた明治以降です。

「日本は奥ゆかしい文化」だと口にされますが、歴史的に見ると、男女の恋愛については、むしろ非常に開放的だったと言えるでしょう。

90年代半ばに、俳優の石田純一さんが「不倫は文化だ」と発言して話題になりましたが、『源氏物語』を見る限りは、たしかに長い日本の歴史において、不倫は文化のひとつだったようです。

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