「色好み」和泉式部の奔放な恋愛模様
和歌のメインテーマは「恋」です。男性だけではなく、女性も高い教養を持っているので、好きな相手に和歌を送り合うという文化が発展した。また、平安時代の日本では、恋愛をしている人ほど、尊敬される風潮さえあったのです。
恋愛が盛んな男女を指す言葉に、「色好み」という言葉があります。これは現代ではマイナスにとられがちですが、当時は「恋愛をしっかり楽しんでいる人」「気持ちに余裕がある大人っぽい人」として、プラスの評価を受けていました。
その時代、「色好み」として知られたのが、紫式部の同僚であった和泉式部という女性です。彼女は歌人としても大変有名な人で、藤原道長の娘であり、一条天皇の后だった藤原彰子(988-1074年)に仕えていました。
当時は、天皇のお后の周囲に、優秀な女性をはべらせ、サロンを開くのが一般的でした。和泉式部も紫式部も大変優秀な女性だったので、藤原道長は最愛の娘である彰子の相手役として、とびっきりの才女を選んだのです。
恋愛が盛んな男女は、プラスの評価
さて、和泉式部はどのように色好みな女性だったのか。まず、彼女は別居中の夫がいたにもかかわらず、冷泉天皇の第三皇子であった為尊親王に求愛されます。その後、為尊親王が亡くなった後は、その弟の敦道親王からも求愛され、恋仲になります。
なんと二人の親王、しかも兄弟から求愛され、その愛を受け入れるという奔放な恋愛模様が世に知られ、彼女は「浮かれ女」と呼ばれていました。これは、今の言葉にすれば「ビッチ」などの表現が近いでしょう。
当時の価値観からすれば、これだけ恋愛が盛んなことは、非常に誇らしいことだと思うのですが、あまりにも身分違いの恋だったせいか、彼女の評判はあまり良いものではありませんでした。ただ、和泉式部の場合は例外として、当時の社会では「色好み」というのは男女ともに大変なプラス評価でした。
日本は男尊女卑社会だとして、いまだにユネスコなどに指摘されることもありますが、歴史的に見ると、女性がすごく大切にされている時代も存在したのです。おそらくそうした時代に変化が生まれたのは、武士が登場したあたりからではないかと考えられます。