男性優位になった江戸時代、原因は儒教?
室町時代くらいまでは文化面では貴族が優位に立っていました。文化面における女性の比重は重いので、当時もまだ女性が活躍できる素地は相当にあったのではないでしょうか。
そして、戦国時代。当時の女性の肖像画を見ると、だいたい立膝をして、ゆったりとした衣服を着ています。なぜ、そうした肖像画が残っているのかというと、あれが当時の女性たちの正装だったからです。
当時の女性たちにとって、絵を書いてもらうことは一生に一度あるかないかの晴れ舞台。だから、一番良い晴れ着を着て、正装して登場します。明治時代の軍人の肖像写真を見てみると、たくさんの勲章を付けていますが、あれと同じようなもの。
逆に言えば、当時の女性の正装とは、立膝してゆったりした衣服を着るというもの。正座をしたり、身体を締め付けるような衣服を身にまとうことは、戦国時代の女性たちは求められていなかったのです。その風潮が変わり始めるのが、江戸時代です。
なぜ、ここで女性の立ち位置が変わったのかは、明確ではありません。でも、個人的には、儒学の影響が色濃いのではないかと思います。
儒学では、女性は、娘時代は父に従い、妻になれば夫に従い、夫の死後は息子に従うべきだと言う「三従の教え」にあるように、極めて男性優位な思想が強い。こうした影響により、女性の地位が下がっていったのではないかと思います。
義母と不倫、男児誕生、即位…
先ほども紹介したように、日本では「恋」に非常に重きを置いていたため、男女の恋愛がおおらかでした。天皇の妻たちが集う宮中にしても、表向きは男子禁制ですが、例外や抜け道も多かった。たとえば、その女性の親族であれば、男性でも中に入ることは可能でした。
そもそも『源氏物語』にしても、その冒頭からしてかなり問題です。主人公である光源氏は桐壺帝という先帝の息子で、朱雀帝と呼ばれる現在の天皇の弟君であるという設定。いうなれば、今の天皇陛下と秋篠宮殿下のような関係です。
その方が臣籍降下して、皇族ではなくなった状態が源氏です。前の天皇の息子であり、今の天皇の弟なので、天皇家の血は濃い。ただ、皇族か一般人かと線を引くなら、源氏は一般人に分類されます。
物語の冒頭で、源氏は藤壺の宮という桐壺帝の妻、すなわち義理の母と不倫をします。しかも、源氏と藤壺の宮が密通した末、男の子が生まれ、将来的には、その子供が新天皇になってしまいます。これは、普通に考えたらとんでもない話です。
たとえるなら、頼朝が皇后と密通して作った子供や、清盛が密通して作った子供が、天皇になってしまったようなもの。それなのに当時の人々は誰もその大問題を指摘せず、「源氏物語は面白い」「源氏物語はすばらしい」と読んでいる。
そう考えると「天皇家の万世一系は本当に守られているのか?」と、疑問に思う人も出てくるでしょう。でも、『源氏物語』には、さらにとんでもない恋愛について、書いているくだりがあります。