美魔女を愛した光源氏、天皇や夫のような存在がいるのに…

当時の宮中では様々な女性が仕えていましたが、天皇に仕える女官は内侍と呼ばれます。内侍のトップが尚侍ないしのかみでした。宮中の役職というのは、基本的に「長官、次官、判官、主典」という四等官制になっています。たとえば当時の県知事である国司の場合も、長官のほかに、次官、判官、主典がいて、実質的に県知事は四人いた。つまり、どの役職にもナンバーワンからナンバー4までが存在したのです。

内侍の場合は、もともとナンバー4である主典は置かれない決まりだったため、ナンバー3までいて、その下に二十人くらいの内侍たちが控えていました。ただ、平安後期から長官である尚侍は置かれなくなり、次官である典ないし侍のすけが実質的なトップを占めるようになります。

天皇の一番近くにいて、お仕えの女官の中で最上位の地位にいるため、典侍ないしのすけは天皇と男女の仲になることが頻繁にありました。もちろん天皇には正室である皇后のほか、中宮など呼び方や待遇が違う妻たちがいましたが、そうした「天皇の妻」とは別に、天皇に仕える女官の中にも、天皇のお手付きとなる女性たちは数多くいました。その筆頭が典侍です。

『源氏物語』の中で登場するのは、源典侍という女性です。彼女はもともと源家のお嬢さんだったようで、当時17、18歳だった光源氏と恋仲になりました。しかし、当時の典侍の年齢は、なんと57、58歳! 現代では、50代後半はまだまだ美しい女性も多いので珍しい話ではないかもしれませんが、当時はとんでもなく年上の女性だと言えるでしょう。その典侍が大層な色好みな方で、源氏と良い仲になってしまったわけです。

『源氏物語』から考える皇統継承への懸念

ただ、冷静に考えると、これはなかなか大変な話です。天皇との関係もあるのに、弟である光源氏とも付き合う。さらに、彼女には修理大夫すりのかみという夫のような存在もいます。また、歴史的にみると、典侍の中には天皇の子供を産んでいる人が非常に多い。さらに言うと典侍が産んだ子どもが天皇になることも大変多い。

中国の宮廷風に言えば、「絶対ほかの男と接点は持ってはいけない」とされる女性にも関わらず、夫のような存在もいる上、若い男と密通もしている。そうなると、改めて「本当に万世一系は保たれているのだろうか?」と思ってしまいます。

3人の皇子に愛された女貴族のしたたかさ

でも、日本の女性たちもしたたかです。それがわかるのが、鎌倉時代、後深草院二条が書いた『とはずがたり』という作品です。これは、後深草院に勤めていた二条さんという、身分の高い貴族の家に生まれた女性が書いた日記です。

後深草院二条の母は、後深草天皇(1243-1304年)の乳母をやっていた人物でもあります。この当時の乳母というのは、天皇をお育てする一方、その延長線上として、天皇の初めて女性となって、手ほどきする存在でもありました。そこで、天皇は、二条に会ったとき、自分の最初の相手である乳母の面影を彼女の中に見つけます(もちろん、娘だから似ているのは当然なのですが)。そして、二条さんを寵愛する。