仕事だからではなく、本気で怒る

が、M社長の偉いところはここからである。「何がお客様にとって必要か見にいってみよう」と気持ちを切り替え、一軒一軒お客様訪問を繰り返してみると、自社商品以外にいろんなものを頼まれて、できるところから納めに行ったら、また次の不満をぶつけられ宿題をもらってきた。

これがキッカケで、今では商圏内に2万社を超える得意先を持ち、毎年、相当額の利益を上げる超優良企業を経営されている。M社長は怒鳴られた後も、途中経過を先生に電話をして、「お陰様で儲かるようになりました」とお礼を言うと、自分があれだけ怒ったこともケロッと忘れ、「良かったね、良かったね」と自分ごとのように喜んでくれたのである。

作間信司『一倉定の社長学』(プレジデント社)

どんなに怒られようとも、この社長のように、気持ちを切り替え素直に実行してみて、それから考え、またチャレンジしてみる。経営の神様と言われる社長であっても、当たり前だが全て成功しているわけではない。多くのチャレンジの中から繁盛のキッカケをつかみ事業を大きく伸ばしていくのである。一倉先生は失敗して怒ることは決してなかったが、知っていても実行しなかったり、とことんやらない、社員にやらせて評論する、こういう社長には容赦はしなかったのである。

一倉先生が鬼になるときは、社長が「社長としての責任」を果たしていないときであり、お客様のほうを向いていないときは手がつけられない状況になってしまう。決して仕事だからではなく、本気で怒っているのである。

「一倉先生の本を開くと、答えが飛び込んでくる」

社長人生の早い時期に「こんな師匠」に出会えた人は幸せだとつくづく思う。多くの社長から「噂には聞いていたが、もっと早く聞いていれば失敗しなかったのに」とか、「今まで俺は全部反対のことをやっていた」とか、いろいろな声を聞いてきた。そして今でも、「判断に迷ったときに一倉先生の本を開くと、答えが1行目からぱっと飛び込んでくる」という社長もいらっしゃる。

事業経営は日々刻々とカタチを変えて、社長に決断を迫ってくる。社長は「欲」と「恐怖」の狭間で決断し行動し、社員に実行させ続けることが宿命である。現役社長として重責を担っている人、これから社長になる人は、自分自身の思考の原点、事業経営の中心軸、人間学を早い時期に固めていくことが「強い社長になる」王道だと思うのである。

「勉強」「実体験」「半確信」「再勉強」「実体験と再現」「確信」の繰り返しが、一見遠回りに見えるが、一番の近道だと確信している。禅語に「冷暖自知」とある。知ってはいても体験してみないと本当のところはわからないし、納得できないことばかりだと思っている。身体で覚えたものは忘れないが、全てを体験できるわけでもないし、窮地の体験はできればしたくないのが本心である。

だからこそ、先人の知恵が役に立つのである。中国古典を紐解いても人間の犯す過ちは今も変わらないし、大成功を遂げた経営者が晩年全てを失う今日の姿も変わらない。また、その教訓を我がものとし、経営者人生を全うする知恵者も多い。どうか自分自身の師匠に「書」と「実際に相談できる人物」として出会ってほしい。

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