上司のへいこらしなくてもスキルがあればどこでも出世できる
若い頃の出世が必ずしも人生の勝利につながらないことを思い知らされる年齢ということだ。こうした逆転現象は、今の時代、医師の世界に限らないだろう。
私の高校時代の同期で東大の文系に行った人間の半数くらいが金融機関に就職した。ところがバブルがはじけた銀行は、不良債権の処理を進めると同時に、大胆なリストラを行った。人づてに、同級生が会社を辞める羽目になった話を聞いてかわいそうに思っていたら、外資に移って年収が10倍になった人もいた。その同級生にはどの組織でも高く評価される「実力」があったのだろう。
反対に、上司に取り入って出世をした人は、上司がリストラにあったり、合併して組織が改変された企業では相手企業の下に置かれたりして、左遷状態となってしまうことも少なくない。年収10倍の私の同級生はおそらく上司に取り入って出世という発想がなかったに違いない。
冒頭で触れた官僚に関していえば、私の知る限り、上に取り入ってニュースに出るような官僚が外資に引き抜かれたというケースは一度も聞いたことがない。
結局のところ、出世というのは実力に伴ってそれをかなえるのならつぶしが利くが、上に取り入ってであれば、状況が変わると、抹消されるということだろう。つまり、上に気に入られることより、起業や転職の時の成功につながる能力・スキルを若いうちから磨くべきだということだ。
定年後に起業を考える際も、上司に気に入られることより、取引先などとの人間関係がいいほうが成功するようだ。
「上に気に入られること」に執着する人が減らないワケ
上に気に入られることに時間や精神をつぎ込むより、能力を高めるほうにそれを注いだほうが結果的にいい人生となる。このことに気づいている人は多い。しかし日本では、終身雇用や年功序列が崩壊しているにもかかわらず、官僚だけでなく一般のビジネスパーソンでさえ、「上に気に入られること」に執着する人が依然として多いように思われる。
この近視眼的な出世欲が、賢い人間をバカにする。あの総務省の官僚のような恥ずかしい発言はその象徴だ。自分がその状態に陥っていないか自省することは、10年後、20年後、あるいは老後の幸せにつながるのではないだろうか。