「ホモ・サピエンス以前に生きていたネアンデルタール人は、われわれよりも大きな脳をもっていたんです。なぜならわれわれのような言葉をもっていなかったから、脳に情報を記憶せざるをえなかったわけです」

外部化されているのは記憶だけではない。現代においては、AIのアルゴリズムによる思考の外部化も大きな問題になりつつあると山極は考える。

人間に唯一残された能力は「見えないものを見る力」

「言葉には優れた側面もありました。言葉を使うことで、人間は頭のなかで考えることができたわけです。しかしながら今はアルゴリズムが考えてくれるから、考えることすら外部化し始めていますよね」
「レコメンド・エンジンが『あなたが次に求めているのはこれですよ』と示唆してくれる。我々はボタンを押すだけでいい。選択し、考えることはもはや日常的な行為ではなくなってきています」

山極は、前述したわたしとの対談トークで、こうも語っていた。

「人間に残された唯一の能力は、見えないものを見る力。データにないものを考える力と言っていい。人間はその力をもっと働かせるようにならないと、データに動かされる存在になってしまう」〔筆者の対談集『これからの教養』(2018年)より〕

彼が語ったこの「AI社会における人間性への危機感」が、本書の取材を始めるにあたって大きなインスピレーションを与えてくれている。

曖昧なものを曖昧なままで了解し合うのが動物

山極は、情報技術の加速度的な発展が、社会から「曖昧さ」を排除しているのではないかと考えている。コンピューターは、あらゆることを計算可能にし、予測可能性を高める方向に進化してきた。しかしながら、それは動物とのコミュニケーションには適していないという。

「曖昧なものを曖昧なままで了解し合うのが、動物の、特に異種間のコミュニケーションなんですね。日常的に犬や猫といったペットと付き合っていても、彼らとは五感が違うわけだから決して同じ感覚にはならない。でもペットとは通じ合っているじゃないですか。

それは、お互いが了解している事項が違うかもしれない。だけどどこかで気持ちが一致していて、それでいいと犬も思っているし、人間も思っている。それでまったく不自由はないわけです。テクノロジーが進化していけば、犬が五感で感じていることをすべて情報として抜き出すことができるかもしれないし、人間の犬に対する感情を伝えられるようになるかもしれない」