良くなったり悪くなったりの「グラデーション」

そういうことが、自分が認知症になって初めて身をもってわかってきました。認知症は固定したものではない。変動するのです。調子のよいときもあるし、そうでないときもある。調子のよいときは、いろいろな話も、相談ごとなどもできます。

もちろん、人によって認知症のタイプも症状の現れ方もいろいろで、全部が全部、ボクのようではないかもしれません。しかし、専門医であるボク自身、認知症はなったらそれはもう変わらない、不変的なものだと思っていました。これほどよくなったり、悪くなったりというグラデーションがあるとは、考えてもみなかった。

だから、認知症といってもいろいろで、ボクのようなケースもあるということを、そして、いったんなってしまったら終わりではないということを、みなさんにぜひ知ってもらえたらと思います。

固定したものではないわけですから、ひとたび認知症になったら「もうだめだ、終わりだ」などと思わないでほしいし、周囲も、「何もわからなくなってしまった人間」として、一括りにしないでいただきたいのです。

「ボクたちを置いてきぼりにしないでほしい」

認知症への理解はかなり進んできましたが、それでも、認知症と診断された人は「あちら側の人間」として扱われていると思うことがあります。こちら側の人間だと思っている人たちは、あちら側の人間はまともに話ができないとか、何をいってもわからないなどといったりします。

認知症の人の前で、平気でそうしたことを口にし、人格を傷つけるようなことが話されている場合もあります。

でも、それは間違いです。話していることは認知症の人にも聞こえているし、悪口をいわれたり、ばかにされたりしたときの嫌な思いや感情は深く残ります。だから、話をするときには注意を払ってほしい。認知症の人が何もいわないのは、必ずしもわかっていないからではないのです。

存在を無視されたり、軽く扱われたりしたときの悲しみや切なさは、誰もが大人になる過程で、そして大人になってからも、職場や家庭で多かれ少なかれ体験していることでしょう。そうしたつらい体験がもたらす苦痛や悲しみは、認知症であろうとなかろうと、同じです。

何かを決めるときに、ボクたち抜きに物事を決めないでほしい。ボクたちを置いてきぼりにしないでほしいと思います。