私は、雅子皇后ご自身で、これだけ長文の、しかも多岐にわたった「ご感想」を書いたのだから、相当な時間がかかったのは無理もないと思うのだが、宮内庁の人間や担当記者たちは、そうは思わないらしい。
そこには、国民から思いがけない祝福を受けたことへのお礼、19号の台風で被災された人たちへのメッセージ、地球温暖化の問題から大地震への防災対策、プラスチックゴミや日本の貧困、子ども虐待問題、アフガニスタンで殺された中村哲氏のこと、ラグビーW杯の成功、もちろん両上皇陛下への感謝と、広範囲に及んでいる。
これほどのボリュームの皇后の「ご感想」が出されたのは初めてではないだろうか。
天皇に対しては、「お忙しい中でもいつでも私の体調をお気遣い下さいますことに心より感謝申し上げます」とし、健康の一層の快復に努めながら、皇后としての務めを果たしていきたいとしている。
これを書きながら、胸に去来したのは、皇室という男尊女卑が色濃く残る旧態依然とした中で、何度も流した涙か、それとも、よくここまで来たという安堵だったのだろうか。
温かく見守ることが求められているはずだ
さらに医師団から、「依然としてご快復の途上で、ご体調には波がおありになり、過剰な期待を持たれることは、かえって逆効果になりうる」といった見解が出たことで、新年行事、特にNHKで生中継される「歌会始」は、「慣れない御身にとっては重圧となりかねません」(宮内庁関係者)とプレッシャーをかけるのだ。
02年12月に、皇太子と2人でニュージーランド・オーストラリア訪問のとき以来、雅子皇后は会見に臨まれていないから、17年間も国民に肉声を届けていない。
2月の天皇の誕生日や、即位1年目といったタイミングで、雅子皇后が同席する会見があってしかるべきだともいっている。
女性セブン(1月1日号)は、雅子皇后の実家では、父親の小和田恆が87歳になり、母親・優美子も高齢のため「老老介護」ともいえる状態で、雅子皇后の悩みは尽きないと報じている。
思えば、結婚してすぐに、宮内庁は雅子さんに「世継ぎを生め」といい続け、週刊誌などを使って、さまざまな形で雅子さんにプレッシャーをかけ続けた。そうしたこともあって、雅子さんは精神的に追い詰められ、「適応障害」になってしまったことは間違いない。
再び、宮内庁関係者や週刊誌は、同じ間違いを犯そうというのだろうか。
どん底ともいえる状態から、自ら立ち上がり、国母としての務めを果たそうと決意しているに違いない雅子皇后を、気長に温かく見守ることが、宮内庁やメディア、もちろん国民に求められているはずである。
雅子皇后のあの素晴らしい笑顔を二度と消してはいけない。私はそう考える。(文中敬称略)