命をかけた場所に、親類といえども立ち入らせたくない
たとえば、高倉の思い出の詰まった家を壊してしまったことについては、
「高倉にとって、家は一代、誰にも見られたくない聖域でした。その想いをうけ、高倉の旅立ちとともに封印しました」
高倉の本名は小田剛一(おだごういち)ではなく「おだたけいち」だと森は書いているが、この本では、小田剛一に「おだごういち」とルビを振っている。ごういちが正しいと主張しているようだ。
親族たちに冷たいのは、高倉のこんな言葉があったからではないか。
高倉は、仕事場に命をかけていた。そこへ物見遊山で「どうも、どうも」とかいって汗をかかないヤツがのこのこ現場に来るのはすごく嫌で、呼んでもないのに来るヤツとは口も利かなかったそうだ。
「見世物じゃねーぞって。親戚にもそう言い続けてた」
彼女にとって高倉と一緒だった場所は、かけがえのない命をかけた場所だった。そこへは親類といえども立ち入らせない。深読み過ぎるとは思うが、そうとれなくもない。
貴月には母親がいる。入籍申請書類にサインしたのも母親である。養子縁組に母親がかなり動いたともいわれている。その母親については、「樹影澹 あとがきにかえて」の末尾にさりげなく、
「いつもそっと見守ってくれた母の存在も、とても大きかったです」と書いている。
本当はどういう関係だったのだろう
同じ「樹影澹」で彼女は、
「亡くなる二カ月前に高倉が書き遺してくれた言葉、〈僕の人生で一番嬉しかったのは貴と出逢ったこと 小田剛一〉でした」
と書いている。なぜ、この遺稿の写真を載せなかったのだろう。
巻末には高倉の自筆なのだろう、「人生の喜びわ なにかを得る事でわない。得てから大事にしていく事。『めぐり逢ひ』」と書かれた文字が額に入っている写真が載っている。
文字の乱れから推測すると、これは高倉が亡くなる間際に書いたものかもしれない。
森は、高倉亡き後の貴月の不可解な行動の発露を、「心の底で燃やし続ける瞋恚の炎が、彼女を駆り立てるのではないか」と書いている。
だが、この本全体を貫いているのは高倉への“怒り”ではない。といって身震いするような男への愛おしさでもない。ノンフィクションのような第三者的な書き方といってもいいかもしれない。
この本を読了した後に残ったのは、高倉健と彼女は本当はどういう関係だったのだろうという、素朴な疑問であった。(文中敬称略)