それに、高倉がインタビューに答えた新聞、雑誌の引用が多いのは、肝心なことを直接、本人から聞いていないからではないのか。
17年間も夫婦同然に暮らしていたのなら、何気ない彼との日々を思い起こして綴るだけで、もっと興味深い手記になったはずである。なぜそうしなかったのか。
生前、高倉家に出入りしていた彼の友人・知人たちは、貴月のことを「家政婦さんだと思っていた」と、森功の取材に答えている。
部屋付きの家政婦ならば、高倉の日々の暮らしや食べ物の好みを熟知していても不思議ではない。ときには、夫婦に近い関係があったとしても、指弾されることではないはずだ。
しかし、この手記には、そうした匂いがほとんどない。かえって不自然だと思うのは、私だけだろうか。
死を肉親に知らせず、墓地を更地にし、自宅を取り壊した
森功が『高倉健 七つの素顔』で挙げた彼女についての疑問点を並べてみよう。
貴月は高倉の死を福岡にいる高倉の実妹にも知らせず、死後2日で火葬してしまった。
実妹が、遺骨を分けてほしいというと、遺言で散骨してくれといわれたからと断った。
生前、死んだらここへ入ると高倉がいっていた鎌倉霊園の墓地を更地にしてしまった。ここには結婚していた江利チエミが孕んだが、事情があって産めなかった水子墓もあったのに。
クルマ好きで、多いときは20台ぐらい所有していたといわれる高級車も売り払い、手を入れれば立派に使えるクルーザーも解体してしまった。
高倉との思い出が詰まっていたであろう世田谷区瀬田の家も壊して、新築した。
森は養子縁組の際の入籍申請書類を見ている。貴月の母親と、高倉の従弟(高倉プロの専務・当時)のサインがあったという。
不思議なことに、高倉の本名である小田剛一のふりがなが「おだたけいち」ではなく「おだごういち」になっていて、従弟のところには、何も書かれていない申請書を持ってきて、サインしてくれといわれたというのである。
高倉の実妹や親族たちは森に対して、高倉の死を知らされなかった悔しさを隠さない。
なぜ、そうまでして高倉健という俳優が生きた痕跡を全て消し去ってしまったのだろうか。
かすかにではあるが、この本の中に、巷間でいわれている疑問に答えているのではないかと推測できる記述がいくつかある。