【田原】そんなに忙しかったの?

【南場】大変でしたよ。一日2~3時間眠れればいいほう。土日に寝だめしましたが、それでも丸一日寝ているわけにはいかずに出社。私はあまり要領がよくなくて、仕事ができるほうではなかったせいかもしれません。

順調に出世していたのに、独立して起業

【田原】留学から戻ってきてからは?

【南場】たとえば企業の成長戦略や構造改革の戦略をつくっていました。それからパートナーになって、会社全体の方針を決定したり、東京オフィスのマネジメントをやったりしていました。

田原総一朗●1934年、滋賀県生まれ。早稲田大学文学部卒業後、岩波映画製作所へ入社。テレビ東京を経て、77年よりフリーのジャーナリストに。著書に『起業家のように考える。』ほか。

【田原】順調に出世していたのに、1999年に独立して起業される。どうして辞めたんですか?

【南場】マッキンゼーはすごく気に入っていました。やりたいことは大体何でもできたし、グローバルにも仲間がたくさんいましたから。でも、人の商売に横から口を出すだけではなく、自分でやってみたいと思っちゃったんです。

【田原】コンサルに限界を感じた?

【南場】限界を感じたというより、もっとおもしろいことをやりたくなったというほうが近いですね。

【田原】具体的には、どういう事業をやろうとしたのですか?

【南場】最初はオンラインオークションです。当時はヤフーオークションもなかったし、eBayも日本に参入していなかったので。マッキンゼーの後輩2人を誘って、3人で起業しました。

【田原】どうして2人は南場さんについてきたんだろう?

【南場】それはわからないですけど、籠絡できました(笑)。じつはその後オークション事業はしばらく赤字でしたので、マッキンゼーで順調に進んでいた2人を引っ張りこんじゃって、申し訳ないことをしたなと。

【田原】何が原因だったんですか?

【南場】ヤフーに先にオークションを始められてしまいまして。ヤフーは米国にシステムを持っているからゼロから開発する必要はなかったし、ポータルサイトを持っているからユーザー獲得も楽です。またほかの事業で利益をあげているから、ユーザーに無料でサービスを提供できた。一方、私たちはゼロからの開発で、お客さんを連れてくるのに広告を出さなくてはいけません。資本金に限りがあるからサービスも有料。どれも最初からわかることばかりですが、当時はそんなこともわからなかった。業界では「あいつはいったい何をやってんだ」と笑われていました。

【田原】そこからどうやって復活を?

【南場】ネットショッピングを追加しました。オークションはCtoCですが、ショッピングはBtoC。リアルに店舗を持っているような企業に、私たちのオークションサービスに店を出してもらい、ユーザーに買い物してもらうサービスです。これはすごくうまくいって、すぐに黒字化しました。