「独善的な復讐心」を抱いたポピュリスト

留意しておきたいのは、これこそが「ポピュリズム」と呼ばれる政治スタンスなのだ。

ポピュリズムは既存の左派からも右派からも否定され批判される。これまで「あたりまえ」とされてきた常識的な手続きや通念に対して糞を投げつけるような行為を通して、社会に異議申し立てをするのだから当然ともいえるが。ポピュリズムはまさしく「社会的・政治的な常道に属さないアウトサイダー」のふるまいであるが、それを「常道の枠内」に入っても、なおやめないからこそポピュリズムとなる。

たとえ社会常識的な逸脱があろうが、政治的常道に反していようが関係ない。疎外されてきた人びとは、立花氏の行動を自分の代わりに「快進撃」を成してくれているかのように歓迎する。

SNSやインターネットではN国党や立花氏は「意に沿わない個人や社会に対して異常な攻撃性を持つ過激集団」ということになってしまっただろうし、政見放送を見て「面白おかしい政党」としてN国党に票を投じたような人も今回の件によって離れるかもしれない。しかし、だからといって彼らが活動をやめるとはかぎらない。区議会議員に対する脅迫容疑(とその釈明会見)に端を発する一連の流れは、立花孝志という人間が社会に「独善的な復讐心」を抱いたポピュリストであると評価されるきっかけとなったことだろう。それは氏やN国党に対する大きな逆風となると同時に、支持者をより先鋭化・過激化させていく呼び水ともなる。

9月9日の会見場で「○○(議員名)をぶっ壊す!」と締めくくった時、立花孝志という男が「ぶっ壊す!」と言ったのは○○ではなく、それを画面越しに眺めていた私たちのことなのかもしれない。

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