問われるのは展示物決定の「プロセス」が公平だったかどうか
他方、政治的要素の入った集会やイベントなどに、大阪府・大阪市が協賛や後援をすることは、厳格に一律に禁じた。
平和集会や教育的集会、人権集会などであっても、政治的要素が少しでも感じられるものには、大阪府・大阪市が協賛者、後援者として名前を貸すことを一切禁じたのである。これまで長年、府・市が協賛者や後援者として名前を貸していたものも、一斉に禁じたので、それらの主催者からは、猛反発を食らった。
特に、集会やイベントの「内容」が、朝日新聞的インテリたちが好みそうなものであれば、なおさらこれらインテリたちから猛批判を食らった。大阪府・大阪市は、平和や教育や人権から距離を置くのか! とね。
違う。
基準があいまいなまま、政治的要素の入った集会やイベントに大阪府や大阪市という公権力が協賛者・後援者として名前を連ねることを許すと、今度は公権力が、自分たちに都合のいい集会やイベントを後押しする危険も生じてくる。大阪府や大阪市に好かれれば、府・市の協賛・後援をとることができ、嫌われればとることができないという不平等も生じてくる。実際、大阪市は、市長選挙戦に伴ってそのようなことをやっていた。
では、大阪府や大阪市は、政治的要素の入ったあらゆる集会やイベントに名前を貸すことを一律に禁じるのではなく、全てに貸したらいいではないか、という意見もあるだろうが、大阪府や大阪市内での政治的要素を含む集会やイベントは無数にあり、府や市が申し出のあった全ての集会やイベントに協賛者・後援者として名前を貸すことは事実上不可能である。
このような考えから、大阪市設置の区民ホールにおいては、政治的要素が入ったとしても「全ての」集会(表現)活動に利用を許し、他方、政治的要素が入った集会・イベント(表現)活動には、大阪府・大阪市が協賛者や後援者として名前を貸すことを「一律」禁止としたのである。
政治的要素の入った表現行為については、一律に認めるか、一律に禁じるかの二者択一の判断。
これが、表現の「内容」によって個別判断するのではなく、プロセスや公平性によって判断する手続き的正義の考え方だ。