政権に批判的な映画に関わると「干される」

この程度の映画でも、「政治の話題を嫌うテレビは、なかなか紹介してくれない」と河村は朝日新聞(7月3日付)で嘆いている。「(政権に批判的な映画に関わると)『干される』と、二つのプロダクションに断られた」とも明かしている。

1960年代や70年代は、大手映画会社が、このような政治腐敗を描く映画を配給していた。

黒澤明監督の『悪い奴ほどよく眠る』(1960)は公団とゼネコンの汚職を描き、父親を殺した現代社会の機構の悪にいどむ男の物語である。

日米安保条約に反対する安保闘争をテーマにした作品に大島渚監督の『日本の夜と霧』(1960)がある。松竹が大島に無断で4日で上映を打ち切ったため、大島は猛抗議して退社する。

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山本薩夫監督の『金環蝕(きんかんしょく)』(1975)は総裁選挙と、そこで飛び交った実弾の資金稼ぎのためのダム汚職が扱われている。原作は石川達三である。

堀川弘通監督の松本清張原作『告訴せず』(1975)は、総選挙の行われている最中に、義弟の代議士が不法に得ていた選挙資金を抱え、逃走した男を描くクライムサスペンス。

山崎豊子原作による山本薩夫監督の『不毛地帯』(1976)もまた、次期戦闘機選定にまつわる政界、当時の防衛庁を巻き込んだ汚職事件が描かれる。

1976年2月にアメリカの航空機メーカー、ロッキードの日本への航空機売り込みに絡む疑獄事件が発覚し、後に田中角栄が逮捕されるのだから、実にタイムリーな映画であった。

だが、その後、こうした政治が絡む映画は作られなくなっていく。

事実の面白さがフィクションを超えてしまった

朝日新聞(7月3日付)で、映画監督で評論家の樋口尚文は、「高度成長期まで勢いのあった左翼の勢力が衰え、社会派娯楽映画も消えた」と分析している。

また樋口はこうも指摘する。

「山本作品ではマスコミが政権と対峙(たいじ)する構図が勧善懲悪な娯楽色につながり、大衆の支持を得た。しかし、マスコミの政権への忖度(そんたく)が取りざたされ、往年のヒロイックな権力批判の物語はうそっぽくなった。『新聞記者』も痛快さでなく、閉塞(へいそく)感が全編に漂っていた」

私は、もう一つの理由があると思う。ロッキード事件に見られるように、事実の面白さがフィクションを超えてしまったのである。