※本稿は、ジーナ・キーティング著、牧野洋訳『NETFLIX コンテンツ帝国の野望』(新潮社)の第1章と第2章の一部を再編集したものです。
世界初の「オンラインDVDレンタル」
1998年春にはウェブサイトとバックエンドシステムが完成した。つまり、顧客はオンライン上で映画の在庫を検索して注文できるということだ。もっとも、最初はしょぼいウェブサイトだった。ユーザーが個々の作品を検索すると、白くて広い背景に小さな画像と短い説明が出てくるだけだった。
作品情報充実のためにネットフリックスが頼ったのが「オールムービー・ドット・コム」という映画ファン向けウェブサイトだ。ネットフリックスは当初、DVDジャケットのアートとタイトルを自らのウェブサイト上で使おうとした。だが、ハリウッドの映画スタジオに拒否された。そこでケースからジャケットを取り出してスキャンすることで対応した。映画スタジオから警告状が送り付けられてきたら? そのときはそのときだ。
ローンチ日が近づくにつれて、スタッフが増えていった。新しいプログラマーが採用されて折り畳み式長机はどんどん窮屈になり、マーケティング部門のクリスティーナ・キッシュのオフィスは新しい担当者を受け入れてぎゅうぎゅう詰めになった。
ソフトウエア大手のベテランたちが集結
ドレスコードは緩いどころではなかった。オフィスで寝泊まりし、数時間睡眠で仕事に没頭していたCEO(当時)のマーク・ランドルフは、一晩床に脱ぎ捨てられたままになっていたジーンズとTシャツ姿で朝方オフィスに現れることもあった。もちろんジーンズとTシャツはしわくちゃだ。オフィスでの寝泊まりが常態化していたという点ではキッシュも同じだ。自宅までは山脈越えドライブが必要だったので、オフィスで寝るほうが楽だったのだ。
オフィス環境もひどかった。換気システムがきちんと動いていないなか、大勢の人間が小さなスペースにひしめきながら戦闘準備に入っていた。体臭が充満して息苦しいことこのうえない。オフィスの片隅では、廃棄処分待ちのDVDジュエルケースが山積みになっていた。
ネットフリックスの全チームメンバーが人生を懸けていた。白熱した議論をしているうちに怒鳴り合いになることもしばしばだった。大学を卒業したての若者が立ち上げる典型的なスタートアップとは違った。
メンバーの大半は大きなソフトウエア会社で管理職を経験したベテランであり、大幅な年収カットを受け入れてネットフリックス入りしていた。消費者相手の新ビジネスに飛び込んで、自分たちの知的DNAを受け継ぐ会社をつくるという共通の夢を実現しようとしたのだ。