当時の指導部は、学生の民主化運動に理解を示していた

天安門事件は、胡耀邦(フー・ヤオパン)元総書記が1989年4月15日に死去したことがきっかけで起きた。胡氏の名誉を挽回して追悼しようと、エリート層といわれた学生たちが運動の核となった。胡氏は学生の民主化運動に理解を示したが、反革命分子として批判され、1987年に失脚し、その後死亡した。

学生たちは連日、天安門広場に集まって運動を展開した。民主化を求めるこの運動は、やがて言論の自由や腐敗した官僚の打倒につながっていった。

デモ行進や座り込みは学生から知識人、労働者へと拡大し、100万人規模のデモも行われた。

中国政府は5月20日に北京市に戒厳令を敷いて事態の収拾に乗り出し、6月3日の夜から4日朝にかけ、天安門広場に軍の兵士や戦車を出動させて武力で強制的に排除した。実弾も発砲された。

中国政府は発砲を否定し、死者数を319人と発表した。しかし、2017年に公表されたイギリス外務省の公文書では、「6月3、4の両日に1000人から3000人が殺害されたと見積もっていた」との推計もあった。

民主化を実現しない限り中国の未来はない

民主化を求める若い学生たちのエネルギーを抑え込めば、火山からマグマが噴火するように爆発し、やがて中国政府は木っ端みじんに吹き飛ぶだろう。30年前、天安門事件を外電で知り、沙鴎一歩はそう考えた。

だが、そうはならずに中国政府は、世界第2位の経済発展を成し遂げた。民主化への機運を抑圧し、国民の人権を無視して共産党の一党支配を支えにここまで来た。

しかし前述したように中国の経済発展はニセモノである。その豊かさは決して本物ではない。民主化を実現しない限り、これからの中国には未来はない。

ソ連や東ドイツ、ポーランドなど、かつて社会主義を歩んでいた国々は、いずれも民主化している。その数少ない例外のひとつが中国であり、北朝鮮だ。金正恩(キム・ジョンウン)朝鮮労働党委員長は、核・ミサイル開発を放棄することなく、中国を手本にして経済発展を遂げようと画策している。