中国における政治とは、一部の政府幹部のためのもの
6月4日付の朝日新聞の社説は「天安門30年 弾圧の歴史は消せない」との見出しを付けて「あの夜、いったいどれだけの血が流されたのだろうか」と書き出す。見出しも書き出しも小説のような書きぶりだが、主張は鋭い。
「『動乱』『反革命暴乱』と当局は決めつけたが、学生らは対話要求など平和的な運動をしただけだ。遺族はそう訴え、再評価や名誉回復を求めている」
「共産党政権はこうした声に応えて真相解明を進め、公表すべきだ。ところが、現実にはその逆のことが行われている」
日本の新聞社説のなかで、朝日社説の中国批判は比較的穏やかだった。その朝日社説が「真相を解明すべきだ」とまで迫っている。朝日社説はさらに続ける。
「今年は建国70周年。共産党はこの間の中国の発展は自らの政策の正しさを示すと宣伝している。ならば、なぜ真実を隠すのか。天安門事件を歴史から消し去ってはならない」
「共産党政権はかねて強権発動の理由として『社会の安定』を挙げる。だが長期的な安定を望むなら、人々の不満や願いを抑えつけるのではなく、政治に生かす改革こそ必要だ」
政治はだれのためにあるのか。国民を統制して弾圧するのが、中国の政治だ。中国における政治とは、共産党や一部の政府幹部のためのものでしかない。
日本は経済支援に動いた責任を取れるか
最後に朝日社説はこう指摘する。
「当時、西側主要国が対中制裁を続けたなかで、日本はいち早く経済支援の再開を表明した。孤立させれば、かえって民主化が遅れてしまうと主張した」
「その見通しは甘かった。だが中国の改革を促す意欲は今こそ発揮すべきだ。あの事件の総括と民主化なくして、中国の真の発展はない。そう言い続ける責務を日本は果たしていきたい」
制裁か、それとも支援か。あのとき、海部俊樹政権は世界に先駆けて舵を大きく切り、円借款を再開する経済支援を打ち出した。その結果、中国の歪んだ経済発展を許してしまった。
日本政府はそこを反省し、朝日社説が主張する責務を果たしたい。そのためにはまず、前述した日中人権対話の再開を実現することである。