「車を見たらミサイルと思え」

一方で、被害者にならないために何かできることはないでしょうか? これは先ほど2つの誤解で述べたことがそのまま当てはまります。

メルロ=ポンティのいうように、身体には両義性があること、そしてアーレントのいうように、巨悪は小さな悪を軽視することによって引き起こされるものであることを意識すればいいのです。

そうすれば、必然的にもっと車を警戒するようになるはずです。これまで私たちは、車を運転している人はそれなりに身体をコントロールできている人だと信じきってきました。そして、よほど悪い意図がない限り、車で突っ込んでくることはないと高を括ってきたのです。

その信頼を疑い、もしかしたら自分の身体をコントロールできない人が運転しているかもしれない、そしてちょっとしたミスで突っ込んでくるかもしれないと認識を改める必要があるのです。

「人を見たら泥棒と思え」ではないですが、「車を見たらミサイルと思え」というのは、今や自己防衛のための最適のスローガンなのかもしれません。

車社会そのものを見つめ直すことが必要

残念なことではありますが、自動運転がもっと普及するまで、あるいは高齢者ドライバーが早期に自主的に免許を返納する日が来るときまで、しばらくは警戒が求められます。いや、仮に自動運転が完全が普及したとしても、それはそれでまたコンピューターのミスによる事故が起きないとは限りません。

本当は車社会が到来した瞬間から、私たちはもっと警戒して生きていくべきだったのかもしれません。こんなに多くの交通事故の犠牲者を出す前に。高齢者ドライバーの問題は、単に高齢者の問題に矮小化してしまうのではなく、むしろいま一度私たちが車社会そのもののあり方を根本から見つめ直すきっかけにすべきではないでしょうか。

たとえば、より人を守れるインフラやテクノロジーの導入、より厳しい交通ルール、そのための教育、あるいは車とはまったく異なる交通の仕組みやライフスタイルなど。高齢者だけを非難する前に、考えるべきことはたくさんあるように思うのですが……。

(写真=EPA/時事通信フォト)
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