閉じた社会で育った子どもが「まずい」理由

この構図の中で最初に大きく動くのは、やはり生き残りがかかった企業です。その表れの一つが、経団連が2018年に決定した就活指針の廃止に伴う人材の多様化と大学教育のあり方への提言や終身雇用の見直しです。これは、裏を返せば、戦後からバブル崩壊まで成功してきた国家主導の「閉じた社会」で、同じような考え方をする人間を育成するという方法が機能しなくなってきたことを意味しています。

身近な例では、いまだ大企業信仰が強く年功序列を脱しない日本においても、「偏差値の高い大学に行き、卒業して大企業に就職してしまえば人生安泰」という勝利の方程式が壊れてきています。

偏差値、大企業といった共通の物差しの消失は、人生の「正解」がなくなってきているということであり、自ら、自分の生存能力を高めなければならない時代であるということです。

もし、今、読者のお子さんが居心地の良い環境にいるのであれば、「それはまずい」と思った方が良いと思います。変化の少ない居心地の良い環境にいると、予見性が高いので、脳はメンタルモデル(経験の繰り返しを通した慎重な分析の上に形成された、安定的な実世界に対する思考の固定的なプロセス)をつくります。

一度メンタルモデルが形成されると、脳は時間とエネルギーを節約するために状況分析を行わなくなり、働かなくなります。しかし、ひとたび環境変化が起こった時には、このような脳はどうしてよいかわからず、変化に対応できなくなります。

次の時代に必要なのは「スマートさん」

日本の教育は、戦後から一貫して規格品としての「クレバーさん」を生産してきました。「正解は一つ」を前提として、外部知識を習得する学習能力の程度を評価する、いわば、結晶化した固定的知能を引き上げることでした。これは、環境の変化が緩慢で不確実性が低く、十年一日同じことを教えても、それが機能した時代の産物であり、理解力が高く、ミスをしなければ良いので、あたかもミスをしない優秀な自動販売機のようなものです。

小笠原 泰『わが子を「居心地の悪い場所」に送り出せ』プレジデント社

別の言い方をすれば、地雷源を踏まないように地雷を避けて通る、リスクを取らない賢い人材、減点主義の下でその真価を発揮する人材です。

しかし、グローバル化が進む不確実性の高い環境では、かつて意味のあったことは意味をなさないケースが増えてくるわけで、教える内容も急速に変えなければならないはずですが、現実は全くそうなっていないのです。故に、学生各自、つまり、読者のお子さんの自発性をいかに引き出すかが重要になりつつあり、親のミッションは、ここにあります。

そもそも地雷がどこにあるかは過去に取得した知識をいくら積み上げてもわかりません。求められるのは、リスクを取って積極的に地雷源に踏み込んでも地雷を踏まない人材、つまり、教科書的で硬直的ではなく、状況に応じて最適解を探せる柔軟性を備えた人材です。これは知識ベースの結晶化した固定的知能ではなく、知恵ベースの流動的知能と言えます。

このような人材を「クレバーさん」に比して、「スマートさん」と呼びましょう。知恵は、多様な経験からしか身につきません。異なる経験をするほど、知恵の程度は高まるのです。故に、自ら居心地の良い環境を離れ、新たな環境、つまり、居心地の悪い環境に敢えて身を置く意志と勇気が必要になるのです。

小笠原 泰(おがさわら・やすし)
明治大学国際日本学部教授・トゥールーズ第1大学客員教授
1957年生まれ。東京大学卒、シカゴ大学国際政治経済学・経営学修士。McKinsey&Co.、Volkswagen本社、Cargill本社、同オランダ、イギリス法人勤務を経てNTTデータ研究所へ。同社パートナーを経て2009年より現職。主著に『CNC ネットワーク革命』『日本的改革の探求』『なんとなく日本人』、共著に『日本型イノベーションのすすめ』『2050 老人大国の現実』など。
(写真=iStock.com)
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