「上着のボタンは留めておくんだよ」
今も昔も永田町には志ある政治家、そうでもない政治家、熱心な支援者、政治力にあやかりたい人、素性の知れない仲介者や詐欺師まで、さまざまな人間模様が渦巻いています。
その中で与党国会議員の秘書の仕事は、「ものを頼まれる」こと。市町村からの公の陳情から、「子供が家出したから内々に捜してほしい」という相談まで、内容は千差万別です。
おまけに、毎日、電話や対面で無数の相談が寄せられます。2004年の日歯連事件で引退するまで30年以上も永田町に身を置いた僕が対応した相談事は数え切れません。何千、何万件という頼まれ事を捌くことが秘書として最も大事な仕事の1つなんです。相手が詐欺師であっても、邪険にはできません。秘書は先生たちの名代ですから、その対応1つで先生の顔に泥を塗りかねないし、紹介者の顔をつぶすことにもなりかねません。だからこそ、ことさら礼儀とマナーが求められるんです。
中でも僕が仕えた故・小渕恵三元総理は、礼儀にうるさい方でした。
僕が小渕さんの事務所で働くようになったのは大学4年生のこと。麻雀ばかりしてロクに勉強しなかった僕の卒業は絶望的でした。まともに就職することも叶わないなと考えていたときに、「群馬3区の小渕先輩が使い走りを探してる。お前行け」と先輩に言われました。小渕さんが3期目のときでした。「気が進まぬが2週間だけ」と決めましたが、着ていく服もない。先輩から上着を借りて、永田町に通い始めました。
そんな学生でも、小渕さんはちゃんと見て、そのうえで試す。
「瀧川君、○○さんから△△をもらったから、お礼状を書いといて」
僕が書くと、「こういうふうに書くともっとよくなるぞ」という言い方をされる。学生にも、とりあえずやらせてみる。それも対等な人間として接してくれる。2週間だけと決めていた僕は、最後の日に小渕さんに言われたんです。
「瀧川君、このあと君といつ会えるかわからないけど、1つだけ教えておくな。年長者や初対面の人と会うときは、上着のボタンは留めておくんだよ」
そのとき初めて、小渕さんがずっと上着のボタンを留めていたことに気づいた。しばらくして「また手伝ってくれないかな?」と言われた僕は、草鞋を脱ぐ決断をしたんです。
ただ、小渕さんのことは尊敬しても、図抜けて優秀な人だと思ったことはなかった(苦笑)。小渕さんの選挙区は旧・群馬3区。福田赳夫さんと中曽根康弘さん(ともに元総理)が「上州戦争」を繰り広げた激戦区。だから、常に周りを見て、「おれはどうしたらいいかな?」などと考えないと、政治家として生き残れなかった。あるときは「結婚式のお祝い、いくら包んだらいいかな? 龍ちゃんはいくら包むか聞いてくれ」と小渕さんに言われ、当選同期の橋本龍太郎さん(元総理、故人)の秘書に、恥を忍んで聞きに行きました。