ほかにも20人以上が人工透析中止で死亡していた
東京都は3月6日、公立福生病院に対して医療法に基づいた立ち入り検査を実施し、1カ月後の4月9日に「透析の再開についての説明が不十分だった」との改善指導を行った。
この東京都の検査によって44歳の女性患者のほかに20人以上の患者が人工透析を受けない選択をして全員が死亡していたことも明らかになった。
終末期における延命治療は難しい。公立福生病院の透析患者に対するインフォームド・コンセント(説明と同意)は、果たして十分だったのだろうか。透析中止の判断を下していた院長や担当医は、終末期医療の難しさをどこまで理解していたのだろうか。疑問は尽きない。
一方、日本透析医学会は公立福生病院に対する調査結果と見解をまだ公表していないが、同医学会によると、透析を中止できるのは基本的に回復の見込みのない終末期の患者が希望したときに限定され、しかもその患者の状態が極めて悪化した場合である。患者の意思を十分に確認することが必要で、同学会は、容体が改善したり、患者や家族が透析を望んだりしたときには再開するよう求めている。
「サイコネフロロジー」を少しでも理解していたのか
透析治療は過酷である。3月16日付の記事にも書いたが、「透析を止めたい」「いや再開したい」と患者の判断が二転三転することはよくある。公立福生病院の44歳の女性患者も、精神的に不安定になっていた。医師は過酷な状態に置かれた透析患者の精神状態を十分に把握し、精神状態を和らげる治療を施す義務がある。
透析患者の話を聞きながらその精神状態をカバーするのが、「サイコネフロロジー(精神腎臓病学)」と呼ばれる医学・医療である。
透析治療が公的健康保険の対象となったのが1968年。その直後から透析治療は急速に普及し始めた。しかし、当時の透析装置(人工腎臓)は性能が悪く、透析膜が破れたり血液が漏れたりするなど透析中にアクシデントが相次いだ。事故は患者の生命の危険に直結する。病院の透析室に入っても、生きて出てこられるか分からないといわれ、多くの透析患者が透析治療のつらさと不安から疲弊していった。夜間、病院内で暴れ、自殺する患者も出た。
透析患者の精神的サポートをしようと、1970年代初めにスタートしたのが、このサイコネフロロジーだった。
公立福生病院がサイコネフロロジーを少しでも理解していたら、今回の問題は起きなかっただろう。