サブプライムローン問題が顕在化して約2年、世界中で金融危機が起き、世界経済も大きな打撃を受けた。
サブプライム問題の出発点はどこだったのか。それは、アメリカがドル高政策を打ち出した1995年。資本が国境を超えて自由に動くことで金融経済が実体経済を、いわば「尾が犬を」振り回すようになったのはここからだった。
さらに遡ると、74年前後に行き着く。オイルショック後、先進国は長期金利の急騰とスタグフレーション(不況下のインフレ)に直面した。それまでの先進国の経済政策の柱は「ケインズ主義」。市場が正常に機能し経済成長率を維持するには政府の関与が必要だとする考え方だ。しかし、それではスタグフレーションは解決できなかった。
そこで先進国は、「新自由主義・マネタリズム」に拠る経済政策にシフトし、スタグフレーションを克服した。新自由主義は、ケインズ主義とは逆に市場に信頼を置き、市場における政府の役割を極力小さくする考え方である。
しかし、先進国はもはや実体経済からは儲けを得られず、オイルショック以前のような経済成長は見込めなかった。
そこで、欧米の投資資金は住宅市場やBRICs(ブラジル、ロシア、インド、中国)など新興国に流れた。95年以降、国際資本の移動が飛躍的に高まり、必然的に発生したバブルの終着地が、信用力のない人向けのサブプライムローンだった。
74年前後の重要性はそれだけではない。翌75年のベトナム戦争終結は、さらに長期の視点から見た資本主義の歴史の大きな区切りだった。
16世紀に起こった宗教改革は18世紀後半の産業革命に転じ、イギリス、オランダが台頭した。二国に代表される西欧型資本主義は、軍事力をバックに相手国の市場をこじ開ける対外膨張主義だった。
その主役の座が、大西洋を渡ってアメリカに移った。新しい開拓地を求めるアメリカの膨張主義は、西海岸に行き着いた後、太平洋を越えてアジアへと向かい、日本を通り越してベトナムの地に達し、サイゴン陥落で止まった。ヨーロッパから西回りで地球をほぼ一周した欧米の膨張主義が、ここで一度終わった。