2009年の法曹界においては、何を措いても「裁判員制度」の開始がエポックとして挙げられる。
裁判員になったら仕事はどうする、一般の市民に裁判官のような役目が務まるのかなど、いろいろと危惧されているが、この制度のポイントは「市民が司法に参加できる」ということだ。
参政権だけではなく、司法に対しても国民が積極的に関与するのは、民主国家では当たり前の話。実はわが国でも、昭和初期には裁判員制度があったのだ。しかし、戦時下で中断したまま今日まできており、この司法への市民参加が大きく立ち遅れてしまっていた。
それが今、司法改革として動き出したわけであるが、裁判を職業裁判官に任せっきりにしていたこれまでが、むしろ異常な状態といえる。
『裁判員になりました』をはじめとする裁判員漫画のシリーズ3作は、制度の意味とその運用を、実際に想定される場面に沿った物語に仕立てたものである。どんな人にも、とてもわかりやすい内容になっている。
裁判員制度に象徴されるように、09年は国民が法律、法務にきちんと向き合うことが要求されるスタートの年。それはビジネスの分野にもいえることだと思う。
特に内部統制とコンプライアンスにかかわる3書『内部統制とは、こういうことだったのか』『経営改革と法化の流れ』『「法令遵守」が日本を滅ぼす』に注目してほしい。これらは、練達の弁護士が法律家の視点から内部統制やコンプライアンスについて分析したものである。
日本では、内部統制は財務会計分野の視点で語られてきており、そのシステムの構築と運用も財務会計マターと捉えられてきた。
しかし、内部統制は単に法令を守ることが目的ではないのだ。本来は、社会や法制度の変化に柔軟に対処でき、風通しのよい企業風土を築くことによって、その企業の社会的な信用を高めていくものである。
したがって、内部統制システムの構築では、法令とその運用を現実に即して冷静に検証する必要があるのだが、実際にはそれが十分になされていない。そのために、無意味なコスト増が発生して“コンプラ不況”などといわれる事態が引き起こされているわけなのだ。
この3書を一読すれば、内部統制、コンプライアンスが何のために要求され、どのような視点で構築されなければならないかが、明らかになるはずだ。