言い換えれば、アルツハイマー型認知症を持つ人々の中では、「現在」はぼんやりしてしまうけれども、「過去」ははっきりしているのです(アルツハイマー病は進行性の病気なので、いずれは脳全体が萎縮をしてしまいます。しかし、少なくとも海馬が萎縮しただけの初期の時点では、「過去」ははっきりしています)。

古い記憶を忘れていないように見える理由

この症状は、母親にとっては、娘である私が小さかったときの、つまり「ちびちゃん」だったときの記憶が鮮明だということです。それは逆に考えれば、それだけ娘は大事な存在だということを示しているのです。

それに「あの人は、もう帰ったの?」と言うことも多い。「誰?」と聞くと、名前は言いませんが、「人がいたじゃない。もう帰ったの?」と言います。

母親自身が幼かった頃、母親の実家には常に、近所の大人や子供が集まっていたと聞いたことがあります。家族だけで夕飯をとることはほとんどなく、家族以外の人が常にいた、田舎のにぎやかな家でした。

母親の中には、その昔の印象が強く残っていて、現在、母親と父親と私という3人だけの食卓をさびしく感じるのかもしれません。

このように、慣れていなかったら、また、記憶のメカニズムを知らなかったら、ぎょっとしてしまうような振る舞いが、日常的に起こります。しかしよく分析してみれば、理解できることばかりなのです。

「能力」だけがその人を作っているのか?

はじめアルツハイマー型認知症は、母親の人格を変えてしまう、怖い病気だと思っていました。しかし、診断から3年がたった現在は、そういう病気ではないと感じていて、安心して暮らしています。

『脳科学者の母が、認知症になる』(恩蔵絢子著・河出書房新社刊)

当初、母親を病院に連れて行くのに10カ月もかかってしまったのは、できていたことができなくなる、記憶を失っていくと、母親が母親でなくなる気がしていたからです。「母親が母親でなくなってしまうかもしれない」それが私にとっての一番の恐怖でした。

しかし考えてみると、なにかができる/できないということ、つまり「能力」だけが、「その人」を作っているのでしょうか? また、記憶を失ったら、その人は「その人」でなくなってしまうのでしょうか?

アルツハイマー型認知症を母親が患って、私は人間の根本を問うことになりました。「その人らしさとは何なのか」医学では問われることのない脳科学の問題に、私は挑むことになったのです。

恩蔵絢子(おんぞう・あやこ)
脳科学者
1979年神奈川県生まれ。専門は自意識と感情。2002年、上智大学理工学部物理学科卒業。07年、東京工業大学大学院総合理工学研究科知能システム科学専攻博士課程修了(学術博士)。現在、金城学院大学・早稲田大学・日本女子大学で、非常勤講師を務める。
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