騎士の国に認められた「武士道的な行為」

工藤は助けた捕虜をオランダ海軍の病院船に引き渡したが、終戦後、このことを誰にも、家族にさえ語らないまま1976年に亡くなった。

戦後から40年あまりたった1987年、アメリカ海軍の機関誌に「Chivalry(騎士道)」と題する寄稿が載る。それは工藤に命を救われたサムエル・フォール元海軍中尉によるものであった。

フォールは「24時間にわたり海上を漂流していたわれわれに、友軍以上に丁重にもてなしてくれた」と工藤の行為を忘れておらず、騎士道的として讃えた。

当時、天皇陛下による英国訪問に反対する声があがっていたが、この投稿が彼らを沈黙させる。工藤の遺族が、その救助活動のことを知ったのは、フォールのこの行動がきっかけだった。

フォールは2008年に、89歳の身をおして来日。埼玉県にある工藤の墓参りを行い「助けられなければ死んでいた。この体験は一生忘れることはない」と、墓前で感謝の思いを伝えている。5年後の2014年、彼は静かに世を去った。

国際大会でもフェアプレーを好む日本人

戦争とスポーツを一緒にすべきではないが、オリンピックなどの国際大会でも日本人は常にフェアプレーを好み、選手にもその姿勢を求める。

反則をおかしてでも勝ちにこだわる国が多いなか、正攻法で戦うのが最低限の礼儀とされ、もちろん勝てれば喝采を送るが、勝てなくても「よくやった」と讃えられる。

下手に負けたら国民が暴動が起こすという例もあるなかで、希有なお国柄といえよう。

冒頭の問題でも、日本は韓国に謝罪までは要求せず、あくまで正攻法で「再発防止」を要求した。言ってみれば倒れかけた相手にとどめをささず、起きあがる機会を与えたような形だ。

ロシアに対してもそうだ。日本は北方領土の返還交渉でも、なかなか強硬な姿勢に出られない。常に相手に配慮しつつ交渉を行うのが慣例である。それは良い部分もあれば悪い部分もあるだろう。

もちろん、こうしたフェアプレー精神に、先のフォールのように相手がフェアプレーで応じてくれるかは分からないし、それは期待すべきではない。

いずれにしても、日本人は長く根付いた「武士の情け」を捨てきれない。その点が国際社会において「甘い」といわれてしまう部分なのかもしれない。

上永哲矢(うえなが・てつや)
歴史著述家/紀行作家
日本史・三国志および旅に関する記事をメインに、雑誌・WEBに連載多数。日本各地における史跡取材の傍ら、城や温泉も行なう。著書に『高野山 その地に眠る偉人たち』『三国志 その終わりと始まり』『ひなびた温泉パラダイス』。
(写真=iStock.com)
【関連記事】
レーダー照射でなぜか反論する韓国の異常
韓国に広がる「日本どうでもいい」の理屈
学生時代から変わらない安倍首相の頭の中
7人の主に仕えた戦国屈指の"二番手武将"
AIスピーカーで彼女と仲直りできたワケ