※本稿は、岡本裕一朗『答えのない世界に立ち向かう哲学講座』(早川書房)の第1講「哲学とは何か、現代の視点から見定める」を再編集したものです。
ネコの視界と人間の視界は違う
男性と女性ではものの見方が違う、とよくいわれます。男性には素敵に見える車でも、女性には品のない趣味と映るかもしれない。さらにいえば、人間に見えているものが本当の世界なのかどうかも、実は怪しい。
たとえば、ネコの視界は人間とは相当違うそうです。視野は200度で人間より広い一方、6メートル先ぐらいまでしかはっきり見えず、赤色を知覚することもできないといいます。しかしこれも、ネコにはこう見えているであろうと、人間の目を通して類推したものですからね。ネコの見え方を真に理解することは難しい。あるいは、聞こえるものも当然違います。
では、人間とネコ、どちらが「本当の世界」を認識しているのでしょうか。
はたまた、次のような場面を想像してみてください(デカルト『省察』に出てくる話のアレンジです)。円筒形の建物が遠くに見える。近くまで歩いていくと、六角柱の建物だった。遠くから見ると美人・イケメンでも、近づいてみると……というのは、よくあることです。デカルトはここから、「感覚は欺くことがある」という教訓を引き出します。あなたはデカルトに賛成ですか?
現実と見え方の違い、幸福と幸福感の違い
ここで考えていただきたいのは、「見えているものと本物」という対比は果たして正しいのか、ということです。「見えたものは円柱だったが、本当は六角柱だった」という対比、これ自体が間違っている可能性はないでしょうか。
六角形が本当だという理由は何もありません。ルーペで見れば、六角柱ではなくなるわけです。どの地点から見るか、という相違にすぎないのではないか――実はデカルトは、こういう考え方も導入しています。最終的に、すべては見え方の違いだ、と。
こうなると困ってしまうのは、何が本当なのかということです。たとえば同じ額の収入を得ていても、幸福だと思う人もいれば、不幸だと思う人もいます。幸福と幸福感は同じなのか、違うのか。たとえば、年収1億円を稼いでいても、ああ、不幸だなと思う人もいるかもしれません。逆に年収100万円であっても、幸せだなと思う人もいるでしょう。
重要なことは、幸福がなんであるかではなく、幸福感が得られるかどうかです。幸福感というのはあくまでもその人の気分や気持ちなので、脳の状態によってつくり出すことができる、と最近の脳科学者はいうでしょう。