コンセプトを創造する

哲学とは、概念(コンセプト)を創造することです。哲学者たちは独自の概念を創造してきました。ドゥルーズは「概念をつくり出さない哲学者は哲学者ではない」と述べています。

新たにつくり出された概念によって、いままで見えなかったことが理解できるようになります。プラトンは「イデア(観念)」という概念を、アリストテレスだと「デュナミス(可能態)」「エネルゲイア(現実態)」という概念を使って、物事を分析しました。見え方や実在についてはデカルトが「コギト(われ思う)」という概念で考え、カントは「クリティーク(批判)」という概念で考えました。

こういう概念を哲学者が提出することで、彼らの読者も、その概念を使って世界や社会を見ることができるのです。そうした経験には、「なるほど、こういうものが見えてくるんだ」という驚き・発見がともないます。概念をつくり出せるかどうかで、その哲学が一流になれるかどうかが決まるのだと思います。

「ヒモつき」でない視点・思考を身につける

哲学はしばしば「役に立たない」とみなされてきました。

ある著作のなかで、カントは大学の学部について説明しています。当時のドイツの大学では、医学部と法学部と神学部の三つが、専門性の高い上級学部として設定されていました。要は、社会に出てから役に立つものを学ぶ学部です(神学を学ぶことが社会の役に立つのかと疑問に思われるかもしれませんが、神学部を出れば、当時はプロテスタントの牧師という就職口がありました)。それに対して、哲学は下級学部でした。哲学など無用であると考えられていたのです。

しかし、そうではないことは、ここまでの議論を通じて明らかです。

考え方を逆転させてみましょう。カントがいったように、「有用性」とは「ヒモつき」であることです。考えてみてください。牧師になるために神学部へ行くとしたら、聖職者という立場のために思想や発言は制限されはしないでしょうか。自由に神学批判などできませんね。

一般的に考えても、仕事の取引先について批判するのは難しいでしょう。そうした意味で、有用な何かにヒモづけられた「職業的な知性」では、批判的に物事を考えることができません。カントはこれを「理性の私的な使用」と呼びます。

一方、哲学をすることは、ヒモで何かと結びついていない「理性の公的な使用」です。無用だからこそ、ヒモがつかずに、非常に広い視点から自由な議論ができます。

みなさんはさまざまな職業につき、さまざまな形で活動されているでしょう。その部分でヒモつきの知識・洞察があるはずです。同時に、もう一つの、ヒモのない哲学的視点・哲学的思考を身につけたら、ヒモつきの活動に関しても、新たな視点が見つかるかもしれません。

岡本裕一朗(おかもと・ゆういちろう)
玉川大学文学部 教授
1954年生まれ。九州大学大学院文学研究科哲学・倫理学専攻修了。九州大学文学部助手を経て現職。西洋の近現代思想を専門とするが興味関心は幅広く、哲学とテクノロジーの領域横断的な研究をしている。2016年に発表した『いま世界の哲学者が考えていること』は現代の哲学者の思考を明快にまとめあげベストセラーとなった。他の著書に『ポストモダンの思想的根拠』『フランス現代思想史』『人工知能に哲学を教えたら』など多数。
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