個人は「その時代の子」

次の言葉は、現代の哲学を打ち立てる重要性を示唆するものです。

「ここがロードスだ、ここで跳べ」

1960年代の学生闘争の頃、デモに参加するかどうかを迷う学生に決断を迫る際にこのフレーズが使われましたが、完全な誤用です。この言葉は「決断せよ」という意味ではありません。イソップ寓話をもとにした成句で、「俺はロードス島で跳躍をして2メートルぐらい跳んだ」という自慢話をするほら吹きに対して、それを聞いていた人が「それが事実なら、ここがロードスだと思って跳んでみろ」という意味でいい返した言葉です。

ヘーゲルは『法の哲学』の序文でこれを引用しています。この成句を持ち出してヘーゲルがいおうとしたのは、個人は必ずその時代の子であり、時代を飛び越えることはできないということでした。

ヘーゲルは同じ『法の哲学』の序文のなかで、次のようにもいっています。

「ミネルヴァのふくろうは迫り来る黄昏に飛び立つ」

ミネルヴァとは、ローマ神話に登場する知恵をつかさどる女神で、ふくろうはその化身とされます。つまりこの言葉は、一つの時代が終わりに近づきつつあるときに、哲学がその時代を概念的にとらえるという意味です。

これは先ほどの「プラトンを読めばいい」という話とは意味合いが違いますよね。古代には古代の哲学があり、現代には現代の哲学があります。その時代、その社会ごとの問題があって、そうした問題の歴史的な変化をとらえるのが哲学です。

この講座で取り上げるAI(人工知能)にしても、バイオサイエンスや資本主義の問題にしても、どれも現代の問題です。プラトンだけを読めばAIの話がわかるのかというと、そんなことはない。同時にプラトンとまったく無関係なわけでもありません。