数百万円のマグロが数秒で競り落とされる

山口「1番は絶対買っとけよ。2番は、ばかみたいに高かったらやめとけ」

最も評価の高いマグロは部下に任せ、自らは駆け引きが難しい競りに臨んだ。競りは“だましあい”。経験がものを言う世界だ。山口はこの日、1番と2番のマグロをはじめ、計15本を競り落とし、総額は2千万円を超えた。1本のマグロが、わずか数秒で落札されていく「大物競り場」はエネルギーに満ちあふれていた。

(写真提供=毎日放送)

競りでどんなに見極めようとも、本当の良しあしは包丁を入れてみないと分からないのだという。例えば、海外の漁師がモリの突きどころを誤り、背や腹に傷が入ってしまうと、その部分は商品にならない。物によっては数十万円の損失になることもある。山口は実際に包丁を入れてマグロの脂の乗り具合やうまみ、甘味を見極め、顧客の好みやその店のシャリの特徴に応じて届け先を決めていく。注文に応じての切り分けは、他の者にはやらせず山口本人が行っている。

「俺はマグロの夢しか見ない」

築地市場が正式に開場したのは1935年のことだった。関東大震災(1923年)で江戸時代から続いた日本橋の魚河岸が焼け、仮設として建てられたのだ。いつも活気にあふれ、混雑は日常風景になった。市場の中で働く人も代を重ね、職人気質を培ってきた。愛着を持つ人は多いが老朽化は否めない。紆余曲折あっての移転だった。

山口の半生もまた、市場の中にあった。父は“築地一”とうたわれたマグロの仲卸で、山口は大学2年の時に声をかけられ、父の店「やま幸」の手伝いに入った。当初は誰にも相手にされず、欲しいマグロが買えたことはなかった。右も左もわからず競り場に立つのだから当然だろう。

悔しい思いをバネに、山口は日本各地の産地を巡った。誰よりもマグロに触れ、味わい、経験値を高めてきた自負がある。だから就寝中も、「俺はマグロの夢しか見ない」のだとか。35年間マグロ一筋を貫き、半店舗程度の大きさだった店を31店舗まで拡大させた。

山口「とにかく(築地の)思い出って真冬でも汗かいてたよ。白息出しながらも体から煙が出てたよね」