年間生産量1万トン、市場規模は200億円
コンビニやスーパーの店頭に並ぶ食品も、すっかり秋になった。リンゴやナシの果物と並び、季節を感じられる食品が「さつまいも」だろう。秋に収穫を迎え、本来の旬は10月から翌年1月だと聞く。
さつまいも関連商品のひとつに「干しいも」がある。昔ながらの商品だが、近年は多様化が進む。国内の年間生産量は約1万トン、市場規模は約200億円と好調だ。
人気の理由は「健康志向」だろう。よく知られる食物繊維のほか、ビタミンやカリウムなどの栄養分が豊富に含まれる。このため、「干しいもチョコ」のようなアレンジレシピが広がり、スイーツとしても人気だ。
干しいもで生産量日本一なのが、実に9割のシェアを持つ茨城県だ。なぜ圧倒的なシェアを持つようになったのか。その背景を紹介したい。
「静岡発祥」が「茨城特産」になった理由
干しいもは、収穫後に貯蔵して甘みが増したさつまいもを蒸し、皮をむいてスライスし、乾燥させた食品。保存による熟成や水分の蒸発で糖化するので、加糖の必要がない。この自然な甘みも特徴だ。原材料が「いも」だけなのに、商品として決して安くないのは、こうした加工の手間がかかるからだ。
もともと江戸時代の文政年間(1818年~1831年)に、現在の静岡県御前崎で誕生したという。それが明治時代の1908年に茨城県に伝わり、特に那珂湊(現ひたちなか市)で盛んになった。今でもひたちなか市は、茨城県内で最も生産が盛んな地域である。
発祥地の静岡県ではなく、茨城県の特産になった理由は、以下が定説だという。
・静岡県は「お茶」や「メロン」など、他の農産物に主流が移った
・茨城県の水はけのよい土壌が、さつまいもの生育に向いた
・那珂湊は、冬場に海から吹く冷たい風も適しており、漁師の副業として広がった
食の歴史を振り返ると、日本人とさつまいもは深い関係にある。代表的なのは、江戸中期、徳川吉宗の統治時代に行われた青木昆陽の「甘藷(かんしょ=さつまいも)」の栽培だ。これにより当時の飢饉を救っただけでなく、西日本で「救荒作物」として知られていた甘藷が東日本にも広がった。静岡と茨城の干しいも栽培もこの延長線上にある。