新タイトル「忘れえぬ女(ひと)」は日本人がつけた

いや、彼女の存在自体が謎めいてくる。美女は謎めいてこそ美女である。「北方のモナリザ」の異名には得心がゆく。

レフ・ニコラエヴィチ トルストイ「アンナ・カレーニナ」(新潮文庫)

彼女を仰ぎ見、一瞬視線を交わした者は、決して今この時この瞬間を忘れないだろう。《忘れえぬ女》というタイトルは、本作が展覧会に来日した際、どうやら日本人が付けたらしい。そうとしか呼びようがなくて付けた。なぜならこの顔には東洋が感じられる。日本人にとって彼女は――モナリザと異なり――はるかに親近感を抱ける対象だ。数世紀も昔の神秘的なイタリア美女より、現代に近くアジアに近いこのロシア美女は「見知らぬ」のではなく、「忘れえぬ」存在なのだ。

クラムスコイはもしかすると最初は本当にアンナ・カレーニナを描こうとしたのかもしれない。ところが完成してみると、自分の創りだした女性をトルストイの小説という鋳型嵌め込みたくないと思うようになったのではないか。

トルストイの読者は頭の中で自由にアンナを思い描き、アンナは読者の数だけ存在している。同じようにクラムスコイも、それこそ見る者の数だけイメージが膨らむような、「永遠の女性」にしておきたくなった……そんな気がする。それこそが芸術家の夢であるから。

絵画の中の「美貌のひと」には、美を武器に底辺からのし上がった例もあれば、美ゆえに不幸を招いた例、ごく短い間しか美を保てなかった者や周囲を破滅させた者、さまざまですが、どれも期待を裏切らないドラマを巻き起こしている。ここでは伝えきれないエピソードの数々は、ぜひ本書で楽しんでいただければと思います。

中野京子(なかの・きょうこ)
北海道生まれ。作家、独文学者。西洋の歴史や芸術に関する広範な知識をもとに、絵画エッセイや歴史解説書を多数発表。新聞や雑誌に連載を持つほか、テレビの美術番組に出演するなど幅広く活躍。2017年「怖い絵展」特別監修者。著書に「怖い絵」シリーズ(角川文庫)、「名画の謎」シリーズ(文春文庫)、『ハプスブルク家12の物語』(光文社新書)、『はじめてのルーヴル』(集英社文庫)、『別冊NHK100分de名著 シンデレラ』(NHK出版)、『ART GALLERY第5巻 ヌード』(集英社)など多数。
【関連記事】
40代女性は"不倫とバツイチ"に悩みがち
"セックスレス離婚"を綴るブロガーの末路
本当は恐ろしい"男女で一線を越える行為"
"なんで?"と言う男は絶対浮気している
愛人を同居させる保険代理店の夫の魂胆