曖昧な人事考課は単なる時間の無駄だ、と誰もが思っている。それでも多くの企業でこの方法は「必要悪」として存続してきた。もっと効率的で、中立的な仕組みをつくれないものだろうか。
実績主義の人事考課はほとんどの企業で当たり前のように行われている。それを廃止すれば、マネジャーも一般社員もこぞって安堵の吐息をもらすだろうと、あなたは思っておられるかもしれない。だが、その場合、モチベーションやパフォーマンスそのものに、どのような影響があるのだろう。
これは人事関係者の間でも経営幹部の間でもずいぶん前からひそかに議論されてきたことだ。企業は一方では、この仕組みを完全に廃止することに大いに魅力を感じている。
人事考課は社員に嫌われているので、延期されたり、いい加減に行われたりしている。おまけに、人事考課は社員の士気や意欲を削ぐだけだという批判もある。その論拠としては以下のようなものがある。
●マネジャーは部下のパフォーマンスを正確には評価できない
真のスーパースターや、本当にダメな社員は誰でも見分けることができる。しかし、10人から20人の直属の部下のほとんどがその中間に位置し、可能なかぎりよい仕事をしていると思われる場合、各人のパフォーマンスを正確に判定できるマネジャーがはたして何人いるだろう。点数をつけようとすると、必ず人となりや感情や特定の記憶に影響されることになる。
●公式の評価は社員の士気をかきたてるよりも逆に削いでしまう
人事考課で全員に高い点数が与えられるとしたら、それは茶番だ。こうした評価のインフレを避けるために、多くの企業がマネジャーに相対評価を行い、それに従って実績給の引き上げを決めることを義務づけている。すると態度や実績の点で勝者とほとんど差がない2人が、勝者と敗者に分類されることになり、相対評価の低い者は「敗者」のレッテルを貼られてしまう。
「30分の面接で、精力的で熱意に満ちた社員が、週末には求人広告を眺める意欲も関心もない社員に変わることがある」と、トム・コーエンズとメアリー・ジェンキンスは、共著書『Abolishing performance Appraisals : Why They Backfire and What to Do Instead』(2000)で述べている。