キャッシュフローと安心を提供することが本質
しかし弥太郎にはそれだけではなく、物事の本質を見抜く力と、類まれなるベンチャースピリットがあったと私は思うのです。例えば、日本最大の海運会社になった三菱から、英国の大手海運会社P&O汽船が三菱の仕事を奪っていったことがあります。多くの人が賃金競争に負けたのだと思ったことでしょう。
しかし実際は、同社は荷主に対して、小切手を使った「荷為替」というサービスを提供していたのです。簡単にいえば、輸送費の支払いを輸送完了後の支払いで済ますサービス。荷主にとっては、商品を売った収入の中から運賃を払えばよいため、キャッシュフローが楽になる。それがP&O汽船が掴んだ顧客ニーズだったのです。
弥太郎はこの本質を即座に見抜き、銀行と保険会社を設立します。三菱銀行と東京海上火災です。三菱は銀行と保険という2つの金融サービスで、顧客のキャッシュフローを楽にすると同時に安心も提供することで顧客を奪い返し、P&Oを日本撤退させたのです。運輸ビジネスにとって価格競争は本質ではありません。キャッシュフローと安心を提供することが本質であると考えた弥太郎に軍配が上がったわけです。
弥太郎は51歳でやや短い生涯を閉じましたが、三菱財閥を今に続く盤石なものにした理由が、人材育成であったことも付け加えておきます。
彼自身もものすごい勉強家だったのですが、九十九商会を立ち上げたばかりの1872年、弟・弥之助(三菱財閥2代目総帥)をアメリカ留学させました。さらに長男・久弥(同3代目総帥)を米ペンシルベニア大学ウォートン・スクールに、弥之助の長男・小弥太(同4代目総帥)を英ケンブリッジ大学に留学させています。どちらも世界の超名門です。そして彼らも周りに優秀な人材を集めていったのです。
弥太郎は、地下浪人から日本一の事業家に上り詰めた経験から、算術を学び、世界経済の先端に触れることこそが経営の本懐だと知っていた。そして、子弟たちにその経験を積ませ、彼らも人材育成を怠らなかったからこそ、三菱は揺るぎない財閥を築けたのです。
・「牢獄」で会った人にも教えを請う
・むちゃぶりをチャンスと思えるほど、「勉強」しておく
・価格ではなく、仕事の「本質」を追求する