文学は「測定不能な価値」を育む代表例

<strong>一橋大学イノベーション研究センター長・教授 米倉誠一郎</strong>●1990年ハーバード大学で博士号を取得(歴史学)。六本木アカデミーヒルズの「日本元気塾」の塾長も務める。
一橋大学イノベーション研究センター長・教授 米倉誠一郎●1990年ハーバード大学で博士号を取得(歴史学)。六本木アカデミーヒルズの「日本元気塾」の塾長も務める。

僕は村上春樹の作品に触れることが、経営に役立つとか、マネジメントに活用できるとか、そういったことを言うつもりは全くありません。そもそも、文芸作品を「この物語のこの個所はマネジメントに役立つ」という思考回路で読むこと自体が本末転倒。小説はやはり小説として楽しむべきで、そこからの展開は各人それぞれの意識の中で再構築するものと思います。何を感じるかは、他人がとやかく言うべきことではないでしょう。

ただ一つ提案したいのは、もしあなたが若者であるなら、10年後、20年後にもう一度同じ作品を読んでみてはどうか、ということです。そして、考えてみる。若かった自分は、なぜこの作品を面白いと感じたのか、と。

あるいは社会で多くの経験を積み、ある程度の年齢を重ねた人であれば、若いころに読んだ作品を読み直してみるのもいいでしょう。かつて自分の若々しい感性がどんなものを面白いと感じていたのかを知り、あらためて理由を考えてみてください。その作品は過去を振り返ることもなく働く日々の中で忘れかけていたような、自らの原点をもう一度思い出させてくれるかもしれません。

村上春樹に限らず、三島由紀夫でも志賀直哉でもいい。優れた物語(ストーリー)というものは、ただただ熱くなって感動しながら読めばそれで構わない。そこにある「言葉にできない感動」や「メジャーできない(測ることのできない)価値」こそが、その人の発想や感受性を深いところで養うと思うからです。

僕たちがいかに計測できるものに迷わされてきたか、いいエピソードがあります。