かつてフォードはベルトコンベヤーによる大量生産方式を確立し、フォード式の科学的管理法は後の約100年の間、最も効率的なものだと考えられてきました。しかし、労働者が複数の工程を担うセル生産方式が普及するにつれてわかったことは、ベルトコンベヤー方式は一番ペースの遅いものに合わせた方式だったことでした。人類はそれに100年もの時間をかけたわけです。
また、スタンフォード・ビジネススクールのロバート・サットン教授の指摘によれば、1950年代に登場したティーバッグはその後の30年の間、全く同じ形だったといいます。人類は何の変哲もないティーバッグ形状の変更に、何と30年の時間をかけたことになるのです。似たような事例は、ほかにいくらでもあるでしょう。
フォード生産方式がもてはやされたように、これまでは管理しやすいもの、計測化しやすいものを評価する時代でした。経営学の世界でも、そうした「メジャーしやすい価値」ばかりに光が当たってきました。
確かに企業社会で働くということは、あらゆることが測られ、比べられる「メジャーできる価値観」の中で生きることでもあります。しかし、人間の真価は測れないものや言葉にできないものによって発揮されているのが大半ではないでしょうか。人間の本来持つ想像力を活かし、常に新しい何かを生み出す「測定不能(アンメジャラブル)」な価値こそが重要視される時代が、すでに訪れているのです。文学作品を読むことは、そんな「価値」を育むことの一つの代表例だといえるでしょう。
僕が村上春樹のデビュー作『風の歌を聴け』を読んだのは、まだ大学生だった頃でした。当時、サリンジャーやレイモンド・チャンドラーといったアメリカの作家が好きだった僕もまた、村上春樹の描く洗練された感性に共通する何かを感じました。
「メジャーできない価値」が大切となっていく時代、感性や直感が今後を生きていくうえで大きな意味を持つような気がします。
※すべて雑誌掲載当時