「妻は同じ東京学芸大学のワンダーフォーゲル部で知り合って、卒業後ずっと教師として働いています。まだ個人情報保護が今ほどうるさくない時代、自宅にかかってくる保護者の電話に夜遅くまで応えている姿を尊敬していました。私も、次のキャリアを考えるなら、子供の成長にかかわる仕事につきたいという気持ちが強くなったんです」

そんなとき、東京都の教員採用試験の受験資格が59歳まで引き上げられた。

「そんなに下がっていない。生活はほとんど変わりません」

もちろん、収入面や条件面、生活のことは現実的に考えていた。まず、福利厚生。JTBで21年勤続したため、企業年金も受け取れる。教員は東京都の公務員なので、手厚い補助がある。バリバリの壮年会社員から、新人の教師へと聞くと、さぞ給与は下がるのではと気になるところだが、「そんなに下がっていないですよ。生活はほとんど変わりません」と飯田さん。

教員として採用される際には、都の給与規定に、前職の経験年数が加味される。管理職ではないので役職手当などはないが、時間給で見れば、むしろアップしているように思える。というのも、生活のリズムがまったく変わったのだ。

「6時に起きて、妻と食事をしてから学校に行って仕事をして。児童が来るのが8時5分。前職ではお昼休みは取れたり取れなかったりでしたけど、学校では給食が12時20分からと決まっています」

15時15分が下校の時間。終業時間は16時半。飯田さんは、平日はできる限り早めに帰り、スポーツクラブで汗を流して夕食づくり。

「楽になったと簡単には言えません。一人ひとりの子供と向き合う仕事ですし、肉体労働というか、体力が要りますから。疲れ果てて21時前に寝てしまうこともしばしばです。ただ、自由な時間ができたことは確かです。実際、転職の理由には、教員である妻が、まとまった休みを取っているのを見て、憧れているのが大きかった。旅行代理店は世間の休みの時期はかき入れ時で、自分の休みは夏なら9月にずれたりもしましたし。今は休みの日には、妻と高尾山あたりをのんびり歩いたり、八ヶ岳や北アルプスに登山に出かけています」