「公園で球技禁止」にも似た構図
冒頭の話に戻ろう。公園で、使う人の立場よりも管理面が優先されがちなのは、芝生養生に限らない。たとえば「球技禁止」もその1つ。都内在住の30代の会社員はこう憤る。
「休日に、おいっ子とサッカーをしようと思ったのですが、なかなか場所がなくて難儀しました。都内の公園はどこも『球技禁止』だからです。子どもやほかの利用者の安全管理のうえでは当然なのでしょうが、それなら安全を担保したやり方を模索すべきだと思います」
公園を管理する側の言い分もあるだろう。何かあれば「管理者責任」(訴訟リスク)もあり、そこまで予算や人員に手が回らない事情もある。ただ、やはり「芝生の養生」に似た杓子定規さも感じてしまう。“締め出し”を進めた結果、東京都内の公園は、憩う人よりも鳩の数のほうが多かったりする。
硬直した考えが「不思議な光景」を生む
スポーツ関係者と話していると、「公園で『球技禁止』となってから、手軽にスポーツに親しむ機会も失われた」と嘆く人は多い。“国民的スポーツ”といわれた野球でも、国内の人口減を上回るスピードで競技人口減が進む。用具代に費用がかかるなど別の理由もあるが、都市部では、お父さんと子どもが気軽にキャッチボールする文化も衰退した。
池田氏も、競技場やグラウンドの管理側との会議で、信念を持ってモノ申すことも多い。そのため、責任者から「次回から、池田さんは来なくていいです」と言われたこともある。それでもサッカー関係者を中心に活動への理解が進み、オフィスショウも事業が拡大している。
「自戒を込めて言いますが、とかく役所の人間は『前例踏襲』で物事を進めてしまう。『本当にそれでいいのか』を、当事者意識で変える姿勢も大切です」
今年取材した、ある市長の言葉だ。「硬直」したやり方に慣れると、人も思考停止になる。その結果「不思議な光景」が広がる例は、さまざまなところにあるだろう。
経済ジャーナリスト・経営コンサルタント
1962年名古屋市生まれ。日本実業出版社の編集者、花王情報作成部・企画ライターを経て2004年から現職。「現象の裏にある本質を描く」をモットーに、「企業経営」「ビジネス現場とヒト」をテーマにした企画・執筆多数。近著に『20年続く人気カフェづくりの本』(プレジデント社)がある。